植物学者、作家、美少女の姫君…練馬区ゆかりの有名人に触れる旅 東京都練馬区を歩く

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休館日は気を付けたい牧野記念庭園

今回、行ったのは東京都練馬区の石神井公園周辺です。石神井公園は、三宝池と石神井池の2つの池を中心に作られた都立公園。武蔵野の自然がよく残っている場所として有名ですね。しかし、歴史好きには見逃せないスポットがあるのでした。

実は戦国時代の城跡があるのですよ。あまり有名ではないかもしれませんが、石神井城という立派な城。城好きにとって、立派というには語弊があるかもしれませんが、東京23区内に土塁や空堀が確認できる場所があるだけでも感動ものです。ほかにも興味深い観光スポットが盛りだくさんの場所なので、是非ご紹介したい、と…。

ウォーキングのスタートは、西武池袋線大泉学園駅。南口からまっすぐ歩き、自動車教習所の先の信号を右折すると、緑につつまれた小さな公園があります。

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ここは、牧野記念庭園。世界的植物学者の牧野富太郎博士の住居、そして庭に作られた研究植物園を記念庭園にしたものです。10年以上前に来たことがありますが、入り口や庭園がリニューアルされているみたい。

…と期待に胸を膨らませて入ろうとしたら、休館日でしたぁぁぁぁ~! 

火曜日が休館日とは珍しい。普通は月曜日を休館にする施設が多いので、ネットで調べずに来てしまいました。残念ですが、以前入ったことがあるからと自らを慰めます。

ちなみに、牧野博士は江戸時代の高知県に生まれ、独学に近い状態で植物学を研究。苦労しながらも、東京帝国大学の研究室に入って、生涯研究生活に明け暮れた学者ですね。園内には、牧野博士が生前、日本や海外で捜し求めた草木が所狭しと植えられています。仕方ないので、生垣の外から写真を撮りました。

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博士が亡くなったのが、昭和32年の1月。博士が手塩にかけた草木が死後60年近くたっても元気に生き続けているのですね。

前回来たときは、園内に、博士が94歳で亡くなるまで書斎として使われていた建物が、コンクリートの鞘堂に守られて保存されていました。当時の写真には、本が和室の書斎を占領して、本の山に埋まって博士が研究しているという感じだった記憶があります。前回行ったときの写真はこちら。

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自分の部屋が、足の踏み場もない点に親近感を覚えたのですが、それを再確認できないのが残念でした。ただ、あとでホームページを調べてみると、博士の使っていた書斎は変わりがないみたい。もっとも、牧野博士が使っていた書斎を勝手にリニューアルしてしまったら、保存する意味はないのですが…。

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記念館陳列室には、博士が採集した植物の標本、スケッチ、愛用された日常品の一部が展示されているようで、是非また訪れてみたいと思いました。

日本銀行の元石神井運動場をリニューアルした石神井松の風文化公園

少々落胆しながら記念公園を後にし、今日のメインイベントの石神井公園へ向かいます。記念公園の近くにあるのが、天下の進学校・東京学芸大学付属大泉校。とても広々として、静かな雰囲気で勉強に集中できそう。

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学校を回りこむようにして進み、ちょっと懐かしい雰囲気の石泉ショッピング街を歩きます。

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富士街道を横断して直進すると、金網に囲まれた広々とした芝生の広場が現れました。そこをおじさんたちが気持ちよさそうに歩いています。前回来たときは、ここは日本銀行の石神井運動場だったので一般の人は入れなかったはず。…と思って金網を見ながら歩いて行くと、石神井松の風文化公園という表示が目に留まりました。

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公園になって一般解放されたのですか。あとで調べてみると、2008年に練馬区に売却され、区立公園として整備されたらしい。これは、牧野記念庭園での失敗を早くも取り返しましたな。練馬区、GJ!と感激しつつ、公園の中に足を踏み入れます。

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公園の中は芝生広場を中心に、ツツジ園やテニスコート、松林の広場などがあってウォーキングには絶好の環境。私も景色を堪能しながら、気持ちよく歩かせていただきました。

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公園の管理棟は、区の建物としては立派だと思ったら、日銀のゲストハウスだった建物を転用したのですか。

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練馬区ゆかりの文化人の展示が興味深い石神井公園ふるさと文化館分室

中には、石神井公園ふるさと文化館分室があり、練馬区ゆかりの文化人の展示がありました。まずは、檀一雄の書斎を再現した展示が目に留まります。

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檀一雄は、直木賞作家であり、ベストセラー『火宅の人』の著者として有名ですが、今は女優・檀ふみのお父さんと言った方がわかりやすいかもしれませんね。当時の作家は皆、畳に座って、タバコを吸いながら長時間執筆活動に励んだのでしょうか。健康に良くないだろうなと思ったら、肺がんで、63歳の若さで亡くなったのですね。

2階には、同じく練馬区ゆかりのベストセラー作家・五味康祐所有のオーディオ機器の展示が…。

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剣豪を扱った歴史・時代小説作家ということで名前は知っていましたが、オーディオ機器のコレクター・愛好家とは知りませんでしたね。何でも、「オーディオの神様」と言われていたらしく、当時所有していた最先端のオーディオ機器が展示されていました。

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室内にはそれらのオーディオから音楽が流れていましたが、昭和の機器とは思えない音質に驚かされます。

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ほかにも、原稿や筆記用具など身の回りの品々が展示されていて、本当は剣豪小説より純文学を書きたかったなどのエピソードが興味深かったです。書いた純文学の原稿のほとんどはボツになってしまったそうですが、直木賞ではなく芥川賞を剣豪小説で受賞したのは面白いですね。芥川賞は純文学の賞ですが…。

三宝池にまつわる悲劇の伝説

石神井松の風文化公園を出て、隣接する石神井公園へ。先ほど述べたように、石神井公園は、三宝池と石神井池の2つの池を中心に作られた都立公園。木々の間から、広い三宝池の水面が透けて見えました。私が目指す石神井城址も公園の中にありまする。二つの池は城の外堀のような役割を担っていたのでしょうね。

池のほとりにも、石神井城当時の様子が伝えられている場所がありました。それは、池を見下ろす、シラカシの大木とともにある小さな塚。

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これは「姫塚」といわれ、石神井城落城のとき、城主の娘「照姫」の入水を供養したものと言われています。

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練馬区では「照姫」が大ブレイク中だそうで、毎年、「照姫まつり」を開催しているらしい。「照姫」はじめ、一般公募された総勢約100人が豊島氏一族に扮して石神井城落城にちなんだ物語を披露するのだとか。ちなみに、平成28年は5月22日の日曜日に石神井公園周辺でまつりが行われるみたいですよ。

その先にも、「殿塚」という小さな塚がありました。

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こちらは、同じく落城の際、城主豊島泰経は黄金の鞍をつけた白馬にまたがり池に沈んだという伝説があるそうな。でも、城主の塚のほうがお姫様の塚より、小さいのはどうしてなんでしょうね。

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当時の戦のことを思いながら、階段を下りて池のほとりの遊歩道を歩いてみました。

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三宝池は、かつて武蔵野三大湧水地といわれたぐらい水が豊富だったとか。今は地下水をくみ上げて補給しているそうですね。

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周辺は国の天然記念物である沼沢植物群落など緑が豊富で、ここの景色だけ切り取ったら、とても東京23区内とは思えないかも。野鳥も多く訪れるようで、水辺観察園の周辺では多くのバードウォッチャーがカメラを向けていました。

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厳島神社と謎の横穴

水辺の遊歩道を歩いて行くと、池から張りだした小さな島に小さな神社があります。

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水と神社の建物って実によく合いますね。…と思ったら、神社の名前が厳島神社。確かに、深い緑をバックに、水面に映る社殿のイメージは厳島神社かも。

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私が気になったのは、厳島神社の近くの崖にある宇賀神社。穴弁天とも言われる通り、鉄の扉の向こうは深い穴が開いているみたいでした。最初、古墳の石室の跡かと思って、中を覗き込んでみたのですよ。石室にしてはずどんと通路が広すぎるような。

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気になって、家に戻ってから調べてみたのですよ。結論から言うと、創建の時期はわからないようですね。石神井城の抜け穴の跡や埋蔵金伝説などロマンあふれる説もあるようですが…。

洞窟はかなり深く、中で三つに分かれているらしい。防空壕より古く、江戸時代にはすでにあったそうですね。目黒区の富士塚の地下にある胎内洞穴も、かなり深く広く地下に広がっていたことを思い出しました。歴史の謎を、自分なりの解釈で妄想を膨らませるのは楽しいですね。

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参考サイト

ねりま大好き! 練馬区観光協会

2016年3月17日

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