ジェット風船が大空に舞う!トラ色に染まった甲子園
高校野球からプロ野球へ
熱戦が続いた春のセンバツ高校野球が幕を閉じました。若人たちの熱い闘いに心を打たれた人も多いことでしょう。
舞台となった阪神甲子園球場は、高校野球からプロ野球へとシフトします。開幕したばかりのプロ野球は、これから半年間の長いペナント・レースが続くのですね。
以前、筆者はセンバツの魅力について書きました。同じ甲子園と言っても、高校野球とプロ野球では全然違う球場になってしまうのです。
逆に言えば、プロ野球が行われる甲子園は、高校野球とは違う面白さがある、とも言えます。今回はプロ野球における甲子園について紹介しましょう。
元々はタイガースとは無縁だった甲子園
甲子園はセントラル・リーグに所属する阪神タイガースの本拠地です。ところが、甲子園はタイガースのために造られた球場ではありません。どういうことでしょうか。
甲子園が完成したのは1924年(大正13年)という、日本に現存する最古の球場です。当時、日本にプロ野球リーグは存在しませんでした。甲子園は中等野球(現在の高校野球)のために造られた球場なのです。
人気が高かった中等野球に対応できるように、アメリカのメジャー・リーグ球場にも負けない、5万人収容という東洋一の大球場として甲子園は誕生しました。当時の日本には本格的な球場がなかったので、驚天動地のスケールと言えるでしょう。
1935年(昭和10年)、東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)を結成させた読売新聞社の正力松太郎社長は、大阪にライバル球団を誕生させようと、甲子園を持つ阪神電気鉄道に白羽の矢を立てました。阪神電鉄は正力社長の説得に応じ、大阪タイガース(現在の阪神タイガース)を創設したのです。翌年からプロ野球リーグがスタートしましたが、もし甲子園が無ければ現在のタイガースも無かったでしょう。
黄色に染まるスタンド
タイガースが誕生したことにより、関西人の多くが阪神を応援するようになりました。甲子園における高校野球とプロ野球との最大の違いは、高校野球の観衆は両校を分け隔てなく応援するのに対し、プロ野球では阪神ファンがスタンドのほとんどを占める、という点でしょう。
阪神のチームカラーは虎をイメージした黄色ですが、ホームの一塁側やライト側はもちろん、ビジターの三塁側やレフト側まで黄色一色に染まってしまいます。レフト・スタンドの一角には申し訳程度にビジター席が設けられていますが、取り残されたようで気の毒になります。
黄色く染まったライト・スタンド
特に圧巻なのが、7回裏の阪神の攻撃時に打ち上げられるジェット風船です(トップ写真参照)。他の球場でもありますが、甲子園は360°全ての方向から打ち上げられるので、そのド迫力は他の追随を許しません。海外にはこんな応援方法はないので、初めて見る外国人選手はビックリです。
阪神が勝つと「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」の大合唱です。単なる球団歌なのに、日本人の誰もが知っている歌なんて他にはないでしょう。バラエティ番組で大阪を紹介する時は、必ずと言っていいほどBGMに「六甲おろし」が流れます。本当は、甲子園は大阪ではなく兵庫県西宮市にあるのですが。
甲子園グルメ
甲子園は野球だけではなく、スタンド内で食べ歩きをするだけでも充分に楽しめる球場です。阪神の各選手がプロデュースした約30種類の弁当に、甲子園名物のカレーライス、内野席だけで食べられる本格的な寿司、甲子園独特のホットドッグ「ヘルマンドッグ」など様々です。
忘れてはならないのがケンタッキー・フライドチキンです。そんなのどこでもあるじゃん、と思われるでしょうが、名物なのはカーネル・サンダース像です。
1985年(昭和60年)に阪神が優勝した時、大活躍したランディ・バースに見立てて、カーネル像が阪神ファンによって大阪の道頓堀川に放り込まれました。その後、阪神は優勝できなくなったため「カーネル・サンダースの呪い」などと呼ばれるようになったのです。
しかし2009年(平成21年)、24年ぶりに道頓堀川から奇跡的に発見され、現在では阪神のユニフォームを着て甲子園のスタンド内に立っています(もちろん、発見されたカーネル像とは別物)。
甲子園に戻ってきた?カーネル・サンダース像
甲子園へ行こう!
甲子園球場は阪神本線の甲子園駅から徒歩すぐの所にあります。大阪や神戸はもちろん、近鉄奈良線や山陽電鉄とも直通運転しているので、奈良や姫路からでも電車一本で行くことができます。ただし、マイカーでの来場はNGです。
あなたも甲子園で、トラ色に染まった異次元空間を体験してみませんか?
2016年4月4日