本屋が発祥のグルメ!丸善書店で食べる「ハヤシライス」と「レモン」

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ハヤシライスは、薄切り牛肉と玉ねぎをドミグラスソースで煮込んだものをライスの上にかけた料理で、海外の料理を元に日本流にアレンジされた洋食に分類されます。するとこの日本流のハヤシライスが「いつ」「どこで」生まれたのかが気になるところ。諸説ある中、一番有力なハヤシライス発祥の店を訪ねてみましょう。

ハヤシライス発祥の諸説

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「ハヤシライス」の語源から考えると、概ね「ハッシュドビーフ・ウィズ・ライス」説と「ハヤシさん」説が有力です。

前者は「ハッシュドビーフ・ウィズ・ライス」が「ハッシ・ライス」または「ハイシ・ライス」となり、それが訛って「ハヤシライス」になったとする説です。それは古くから伝わる言葉に”細かく切る事”を「はやす」という動詞があり、ハッシュド⇒ハッシ・ハイシ⇒(「はやす」意味から)ハヤス肉⇒ハヤシライスという変化に由来しています。

後者には2つの説があり、一つは「林」説。元宮内庁大膳職主厨長だった秋山徳蔵氏が考案した宮内庁版ハヤシライスの事を聞いた上野精養軒のコック「林」氏が、従業員の賄い飯として作ったところ好評だったことからこれをメニューにしたという説です。

もう一つは、丸善創業者の「早矢仕」氏が野菜のごった煮にライスを添えたものを友人に振る舞い、それが有名になって”ハヤシライス”と呼ばれるようになり、いつしかレストランのメニューになったという説です。

ハヤシライスに限らず、一般的な発祥や日本三大○○などの多くは確かな証拠がないものが多く、結局のところ”云った者の勝”的な要素があり、このハヤシライスにおいても、丸善百年史で記述され、いち早く発祥の店を表したことから丸善の早矢仕説が現在では通説となっているようです。

早矢仕氏と丸善

この「早矢仕」氏とは一体どんな方なのでしょうか。

フルネームは「早矢仕有的」で、江戸時代の天保8年現在の岐阜県に生まれ、早逝した父親の後を継いで医師を志し18歳の時に郷里で開業しました。優秀な医師として活躍した有的は、庄屋であった高折善六にその才能を見出され、蘭方医・坪井信道等に学びながら、江戸日本橋橘町で改めて開業するのです。

時代はオランダからイギリスに覇権の変わった背景で、蘭学だけでなく英学を学ぶ必要を感じた有的は、慶応3年福沢諭吉の私塾(後の慶應義塾)に入塾し、英学は勿論”経済”を学び、医業以外の可能性を感じたのです。諭吉もまた有的の実業界への才能を認め、有的をバックアップしました。そして明治2年居住していた横浜で「丸屋商社」を創業し、開業当初は主に諭吉の著作販売を手掛けながら、医薬品や医療器具の輸入を行いました。その後、有的は西洋文化の導入と云う視点から、書籍、万年筆、タイプライター、タバコ、石鹸、ビール、カレー粉などの輸入販売という多角的な商売を始めたのでした。

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有的の創業した「丸屋商社」は当初「球屋(マルヤ)商社」と命名されましたが、マリヤ、タマヤと読み間違えられたことから改名しました。創業時の会社名義人(社長)は「丸屋善八」という人ですが、この名前は架空の名前で、有的が高折善六の恩を忘れまいとして自分に付けた名前だったのです。

その後、当時の顧客から親しみを込めて省略した「丸善さん」と呼ばれるようになり、明治13年に「丸善商社」に改称したユニークな名称なのです。

有的と早矢仕ライス

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こうした中で産まれたハヤシライスですが、全くの偶然というわけでもありません。

日本で最初の料理記事は、福沢諭吉が創刊し主筆を務めた『時事新報』の《何にしようネ》というコラムで、牛肉やトマトを使った料理などが紹介されており、諭吉は三度にわたる欧米への渡航で西洋料理に詳しいグルメだったのです。

この諭吉に師事したことと、当時、日本を訪れていたヘボンなどの外国人と親交があったことから、肉と野菜のごった煮を考え付いたともいえるのです。これを友人に振舞ったと云われるハヤシライスですが、これ以外にも医師だったことから栄養失調の患者に作った滋養の高い入院食説、丸善で働く丁稚に与えた夜食説などが存在しています。

こうした歴史に基づき丸善ではコラボレーションカフェを展開し、丸の内本店、日本橋店等の併設カフェでは、有的に因んだ「早矢仕ライス」を提供しているのです。

プレミアム早矢仕ライス

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丸善でのコラボレーションカフェの一つ日本橋店をご紹介。この日本橋店の3階にあるのが「MARUZEN cafe」で、白と茶を基調にした落ち着いた空間です。

多くのメニューの中で、《早矢仕ライス》にも多くのバリエーションがあります。スタンダードの「早矢仕ライス」、今や定番とも云える「オム早矢仕ライス」、更にカキフライや野菜などの付け合わせの「トッピング早矢仕ライス」など、どれも目移りしてしまうメニューですが、お手軽にいただくならランチがおすすめ。

「チキン南蛮早矢仕ライス」「3色ハムマヨロールカツ添え早矢仕ライス」「チキンの黒胡椒風味添え早矢仕ライス」といった日替わりの早矢仕ライスが美味しくいただけます。

気軽に楽しめるのも魅力ですが、是非、一度食べていただきたいのが「洋風早矢仕セット」です。

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「生ハムサラダ」で食欲を上げてからいただく早矢仕ライスは絶品です。しかも新旧の早矢仕が味わえる「ポーク&ビーフ早矢仕ライス」です。

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写真のライスの下部分が”早矢仕”で、上部分が”プレミアム早矢仕”のダブル早矢仕なのです。前者はモノが少ない早矢仕創作時代の早矢仕ライスをイメージして豚肉を使用したもので、味も甘味の乏しい時代を反映した甘めの味付けです。後者はグルメ全盛の現代を象徴するビーフを使用しコクのある味付けがいただけ、2つの時代がコレボレーションした逸品なのです。

丸善所縁のデザート

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メインディッシュの後の締めがデザート。見た目通りの「檸檬」というデザートで、ビジュアル的にインパクトがありますが、その誕生にもインパクトがあります。

「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。」

これは梶井基次郎箸の小説『檸檬』の一節で、爆弾に見立てた黄金色に輝く恐ろしい爆弾がレモンです。文中の丸善は京都店で、このレモン爆弾から考案されたのが、写真のスイーツ「檸檬」です。中身をくり抜いたレモンにフロマージュを詰め込み、メレンゲで蓋をしたもので、レモン果肉の入った酸っぱいホットソースをお好みでかけながら頂く爽やかなスイーツです。

一旦閉店した丸善京都店が2015年に再出店され、京都MARUZEN cafeでも京都限定の「檸檬」が復活しました。但し東京とは違い形状が横型の檸檬なので、機会があれば元祖京都店の「檸檬」も味わってみてはいかがでしょうか。

意外な発祥のグルメはいかがでしょうか。中々興味深いグルメですので、機会があれば是非寄って歴史と文化の味を味わってみてください。

2016年11月29日

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