千葉県船橋市の魅力的な古城と冬の自然公園を歩く

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もしかして巨大城塞?とイメージが膨らむ高根城

今回も、千葉県船橋市の城跡めぐりを続けます。思いっきり、マニアックな旅で、どこが面白いのかと言われそうですが…。

それはともかく、米ヶ崎城から近くにある県道に出て、そこを北上します。やがて、左手に秋葉神社が現れました。

ここは、今回訪れた城跡の中で、もっとも痕跡が残っているの思われる場所でしたね。ここだけは、自信を持って城跡だと主張できまする。

その理由として、まずこの土塁。しかも、神社を囲むように、いい感じで残っています。

そして、この入口部分。城跡では虎口と呼ばれるのですが、石段の参道の左手にスロープが残っています。

おそらく、これが本来の登城口で、石段は神社が作られてから社殿の正面に作られたのだと推理しました。

事実、スロープは頂上で右に九十度折れ曲がり、ちょっとした桝形を形作っています。土塁の囲まれた部分には、かつてどんな門が築かれていたのだろうとイメージを膨らませました。

入り口部分はさほど標高を感じないのですが、外部に対してはそこそこの崖になっていて、昔は一定の防御機能があったのではないでしょうか。

神社から少し離れたところに高根寺と言うお寺があって、ここもかつては高根城の一部と言われています。

古木と本堂のコラボの景観が素晴らしい。

このお寺は、小金城主高城氏の開いた広徳寺の末寺になるのですか。小金城といえば、以前ご紹介したように、住宅街の中、巨大城郭の痕跡が至る所にあったのを覚えています。

高根城は、戦国時代には小金城主高城氏の一族で高城山城守、あるいはその家臣であった高城右京亮が城主だったのではないかと言われているそうです。高城氏は、後北条氏に仕えていたので、小田原征伐の際、豊臣方に攻められて天正18年(1590)に落城したのですね。

そういえば、小金城には、後北条氏御用達の障子掘の痕跡がありました。ここも、詳しく調べればいろいろわかるのかもしれませぬ。 …と思って、お寺の周辺を歩き回ってみたのですが、当時の縄張りの様子をイメージすることはできませんでした。

城跡っぽいアイテムはいろいろあるのですけどね。たとえば、この薮が土塁に見えたり…。

この道が空堀に見えたり。

ただ、それらを体系的にまとめて、当時の城跡のイメージが描けないと、城跡の一部だと断言できませぬ。

当時の城は、県道を挟んだ場所にも広がっていたそうなので、横断歩道を渡って行ってみることにします。

秋葉神社の周辺で立派な城跡の遺構を確認できたので、あとは付け足しのような感覚でしたが、こちらのほうはさらにすごい痕跡があるのでした。

ちなみに、ネットで高根城を調べてみると、秋葉神社や高根城周辺を含めず、こちら側だけを城跡としているページもありました。確かに、両者は少し離れ過ぎているような。低湿地から、さきほどの秋葉神社を眺めるとこんな感じです。

もっとも小金城の広さは、高根城の比ではありませんが…。 県道を越えると、低湿地が広がっています。これを堀と見立てると、城跡の巨大さがわかりますね。

歩いていくと、まず現れるのが巨大な土塁の下にある墓碑。

そして、写真のように、土塁に見える部分がかなりの広範囲に広がっているのです。

中には、郭がそっくり畑になっていると思われる部分も。

土塁に囲まれた廓が、それぞれ民家の敷地になっているのだとイメージしました。それらの郭群の外側には、巨大な土塁が広がっている。

ただ、これらの部分と、先ほど行った県道を隔てた秋葉神社の部分が同じ城跡とは思えないのですよ。秋葉神社の部分を出城ととらえる意見もありましたが、本城の部分との接続が良くないのではないか、と…。

出城は、敵に取られてしまうと逆効果になりますからね。それぞれ独立した戦国武将の館が隣接しているような印象を受けました。

素人だから、間違っている可能性が高いですが、それでもいろいろイメージできて興味が膨らむ城跡でしたね。

よく見ると難攻不落の城・金杉城

県道をさらに北上し、金杉十字路を左折すると、神明社という小さな神社があります。実は、この周辺にも、金杉城という戦国時代の城跡があるのでした。

それにしても、歩いて行ける範囲に城跡が3つもあるなんて、驚きです。しかも、それぞれ個性豊かな城跡で、見飽きることがありませぬ。

金杉城は、史料も伝承もない城なのだとか。近くの高根城にいた高城氏との関係はあったのでしょうね。こんな近くに、敵対する城があったら、夜もおちおち眠れないでしょうから。

神明社の横の隆起も土塁ではないかと思ってしまいました。もちろん違うと思いますが、一日中城跡を見ていると、全部城の痕跡に見えてしまいますな。

神明社の西側一帯が城跡だそうですが、付近の住宅街では城跡の痕跡がまったくありませんでした。それでもさらに歩くと、民家の奥に土塁のような土地の隆起を発見。

近くで見たかったのですが、入ると家宅侵入になるので、敷地の外から覗かせていただきました。横へ移動すると、畑の近くにも土塁を発見。

後で気づいたのですが、土塁の向こうは急峻な崖になっているのですよ。この一帯は、高台だったのですね。

崖の下へ降りてみると、かなりの標高差。これだけ見ると、今日回った城跡の中では一番攻めづらいのではないかと感じました。

ただ、崖の反対側はまったく防御施設は残ってなかったですね。おそらく空堀があったのでしょうけど、埋められてしまったのかも。

後で調べてみると、金杉城は、50メートル四方くらいの単郭式の城だと考えられるそうです。戦国時代の城としては心もとない規模ですが、崖を登って攻めてくる敵に対してはかなりの防御力を持っていると感じました。

高校野球の予選会場にもなっている船橋市立夏見総合運動公園

金杉城のあった台地を下ると、深い緑に包まれた船橋市運動公園が広がっていました。

サッカー場、野球場、陸上競技場、テニス場、弓道場、野外プール、総合体育館などスポーツの百貨店のような趣ですね。さすが、総合運動公園の名に恥じないですな。

こちらの野球場は、全国高校野球選手権大会千葉大会の会場としても使用されるそうでね。

地下水も豊富だそうで、美しい水辺の景観が広がっていました。

住宅街に雄大な景観が広がる長津川親水公園

船橋へと戻るため、ひたすらバス通りを南下します。その途中にあるのが、長津川親水公園。

こちらも美しい公園ですが、園内には豪雨対策として長津川調節池が設けられていました。

周囲にはソメイヨシノが植えられ、お花見のシーズンは水辺と桜のコラボが見事でしょうね。

園内は遊歩道が設けられ、紅葉や落ち葉の景観を堪能することができました。

この夫婦茶碗のようなイチョウの大木は素晴らしい。

池のほとりでは、まわりの団地やマンションの家族連れが紅葉を眺めに来ていました。こんな雄大に景色が日常的に見られるのはうらやましいです。

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2017年4月25日

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