高知・四万十市「のどかな田園」と「安並の水車」

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高知県四万十市の観光で、ぜひとも足を運んでもらいたい「安並の水車」。そこに広がる田園風景。四万十市は四万十川が有名ですが、日本の原風景とも言えるこの場所も実に美しいのです。

のどかな風景

高知・四万十市安並にある水車が並ぶ風景。水車の周辺は田園。最後の清流「四万十川」の支流となる後川で見ることが出来ます。のんびりとした雰囲気の中、観光、あるいは旅の途中のちょっとした休憩を兼ねて楽しめる場所が「安並の水車」となります。

水車の列をはさんで反対側の道路脇には無料で駐車できる駐車場があり、トイレも設置されています。なおこの場所は「四ケ村溝の水車」とも呼ばれます。

広々とした空間の中、そこに流れる水の音。そして、静かに回る水車から生まれる高低差で流れ落ちる水の音。異なる水の音がノスタルジックな風景を作り出してくれます。のんびりと眺めてみるのも、旅の面白さではないでしょうか。

おだやかな風景の一部である田園ですが、一般の方の敷地となっております。観光地ですので水車周辺を歩くことは問題ありませんが、田んぼのあぜ道等は許可なく入らないことは大事です。そして水路となっていますので、転落に注意し、もちろん回っている水車に触れないようlとしましょう。

 約350年の歴史ある安並水車

安並水車は古い歴史があります。遡ること江戸初期の藩政時代。藩政時代において石高を増やすことは、大きな課題となっていました。土佐藩の第二代藩主・山内忠義(文禄元年(1592年)一寛文4年(1665年))はその課題を野中兼山という人物に託します。

土佐藩の家老であった野中兼山(元和元年(1615年)一寛文3年(1664年)が、四万十川の支流から潅漑用に水路を作る土木工事を行ったのです。

現在では「水車の里」と呼ばれるこの地ですが、約350年前の水路工事は、規模は長さ160m、幅11mにもなります。ところで水路は安並だけではなく、その三つの村である秋田・佐岡・古津賀のためであり、今現在は観光地として見ることが出来るのが安並の水車なのです。

水路はかつて「溝」と言われており、四つの村に利用されたことから四ケ村溝と呼ばれていました。現在は約15基となっていますが、明治の頃には約50基もあったとのこと。その景観は見事なものだったでしょう。

土木工事を行うことで水路を整備し、コメの収穫を増やすことに貢献しましたが、その歴史が今では観光用となって地域の目玉の一つとなっています。水車とその周辺は地元の人たちが中心となり維持管理されて、私たちの目を楽しませてくれているのです。

なぜ水車が必要だったのか

ところで、なぜ数多くの水車が必要だったのでしょうか。この付近は平たんな地形となっており、段差が少ないことから、数多くの水車を利用して水を高い所にくみ上げ、それを田んぼに流すようにするという理由があったのです。たくさんの水車が必要なだけ、それまでは稲作が難しい地域であったと言えます。

 最後に

5月中旬から6月中旬は紫陽花の季節。この時期に訪ねると、のどかに昔を立てて回る水車の様子だけではなく美しい紫陽花も同時に楽しむことが出来ます。

四ケ村溝「安並水車の里」は、四万十市観光でぜひとも足を運んでもらいたい場所です。

四万十市観光案内
http://www.city.shimanto.lg.jp/kanko/spot/meisho/suisha.html

2017年6月23日

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