観光スポットのフルコースが楽しめる。東京都板橋区のおすすめウォーキングコース

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見どころ満載の23区屈指のウォーキングコース

今回行ったのは、板橋区の赤塚周辺。ここには、私の長いウォーキング生活の初期からお世話になったお奨めのウォーキングコースがあるのですよ。神社仏閣、博物館、美術館、植物園、そしてお城と観光スポットが目白押し。なんと、奈良・鎌倉に次ぐ、日本で三番目の大きさの大仏まで。

仕事も含めれば数えきれないくらい訪れた場所ですが、もしかするとまた新たな発見があるかもしれないと、10年ぶりに行ってみることにしました。

ウォーキングのスタートは、都営地下鉄三田線の終点・西高島平駅。駅前の大通りの交通量の多さは昔と変わっていないですな。

富士塚と古墳のコラボ論争が興味深い上赤塚氷川神社

歩道橋を渡り、大通りや住宅街をテクテク歩き、急な坂を上って最初の目的地・上赤塚氷川神社に到着。

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解説板を読むと、この神社は1458年、赤塚城主千葉介自胤が武蔵一ノ宮氷川神社の御分霊を奉請して創建されたらしい。本殿はコンクリート造りに変わっていましたが、桜並木の参道やおごそかな雰囲気の境内は歴史を感じました。

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この神社の見どころは、やはり富士塚でしょうね。いろいろな石碑も残されていて、江戸時代のこの地域の人たちの思いも伝わって来ました。

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あとでわかったのですが、この富士塚は古代の古墳を利用して作られた可能性もあるそうな。確証はないそうですが、古墳も富士塚も、地域でもっとも高い場所にシンボリックに築かれるケースが多いですからね。そういえば、お城もそうなのでした。タイムマシンに乗っているみたいに、一つの場所の歴史を遡って考えるとロマンが膨らみます。

江戸時代の暮らしがイメージできる板橋郷土資料館

氷川神社から坂を下りて行くと、赤塚溜池公園がありました。

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近くのおじさんたちが釣り糸を垂れる風景から釣り堀みたいですが、この池は明治時代には農業用水として利用されていたらしい。その前はなんと、お城の内堀だったそうなんですよ。現在は、とても堀には見えませんが、当時から水が豊かな場所だったというのはわかりますね。園内に約200本の梅の木が植えられ、その景観は板橋十景にも選ばれているのですな。

溜池公園の奥にあるのは、板橋郷土資料館。

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ホームページによれば、区内で出土した土器、古文書、民俗資料、古民家などを収蔵・展示し、板橋の歴史を学ぶことができる施設だとか。郷土に関する歴史や文化をテーマとしたさまざまな企画展・特別展も魅力ですね。

屋外展示されている古民家も一見の価値がありますよ。この江戸時代後期に建築されたという旧田中家住宅は、もと板橋区徳丸にあったものを移築したらしい。

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時代とともに増改築を繰り返し、間取りも変化していったそうですね。外にある巨大な桶や庭の景色など、江戸時代からこの場所で人が暮らしているように見えました。

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23区内で貴重な城の痕跡が残る赤塚城

郷土資料館の裏にある丘は、戦国時代の城跡。伝承によれば、1456年、市川城から移った千葉自胤によって築城された赤塚城だとか。その後、千葉氏は戦国大名後北条氏の有力な家臣として活躍したものの、1590年の小田原征伐によって、後北条氏とともに千葉氏も所領を没収されてしまったらしい。そのまま赤塚城は廃城になったのですな。

市川城と伝えられる場所は、先日ウォーキングで行った市川真間から少し歩いた弘法寺だったと思い出しました。同じ一族が作った城なら、個性も似て来るのだろうか。

…と思って、城跡を訪ねてみることにしました。

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土塁となっている崖はかなりの急こう配。これは、上の郭がどうなっているか楽しみだと思ったら、残念ながら何の変哲もない広場でした。城跡だと思わせるものは、広場に立つ城跡の石碑のみ。

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広場を入念に歩いたのですが、城跡の痕跡は発見できませんでした。崖の縁の土塁や空堀の痕跡があればよかったのですが…。ただ、城跡の痕跡が無くなったのはつい最近らしい。高島平の開発が始まった昭和40年代には、空堀などの遺構がはっきり残っていたそうですね。

私が初めて赤塚城を訪れたのは確か、昭和60年代初頭。今ほど、城跡には詳しくなかったけれど、ここは畑だったような記憶が残っています。畑を作ったときに、整地してしまったのかもしれませぬ。

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ネットで調べてみると、石碑のある場所がいわゆる本丸で、空堀に区切られて二の丸、三の丸が続いていたらしい。埋められてしまった空堀はここではないかと推理しました。

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二の丸と思しき部分は梅林に…。

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城跡ファンにとっては城跡の痕跡がなくなったのは残念ですが、梅林になったほうが多くの人たちが楽しめるのかもしれませんね。

美術館と東京都名湧水57選にも選ばれた名水がある

今回は時間がなかったのでパスしましたが、赤塚城址の隣には板橋区立美術館があります。

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ちなみにここは、東京23区初の区立美術館として開設されたそうな。ホームページによれば、江戸狩野派を中心とした国内の美術作品や、板橋区ゆかりの作家による作品の展示がおもに行われているとか。10年以上前に、ここで人体をテーマにした美術作品を見たのを思い出しました。結構、前衛的で面白かったですね。

美術館の前の道をしばらく歩くと、不動の滝公園が…。木々に覆われ、ひんやり暗い崖から湧水がチョロチョロと流れ落ちている。この水は、東京の名湧水57選にも選ばれた名水らしい。

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解説板には、この不動の滝は、江戸時代、近所の人たちが富士山や大山などの霊山に詣でる際に身を清めた場所だと書かれていました。昔はもう少し、水量が多かったのでしょうね。

日本で3番目の大きさの鋳造大仏がある乗蓮寺

不動の滝から道を挟んだ向かいには、本日のウォーキングのハイライトとも言える乗蓮寺がありました。

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解説板によれば、このお寺は室町時代の創建だとか。1591年に徳川家康から10石の朱印地が寄進され、その後も歴代の将軍から朱印地が与えられたそうですね。8代将軍・徳川吉宗の鷹狩の際の休憩所としても使われたらしい。

お寺の境内に「赤塚城二の丸跡」の石碑がありましたが、これはお城ファンとしては異議を挟みたくなるところですな。板橋郷土館の裏の丘を本丸とすると、ここはかなり離れておりまする。事実だとしたら赤塚城はすごい巨大城塞ということになる。当時の千葉氏の勢力からして、ちょっと無理ではないかと…。

でも、城の痕跡はきっとあるのでしょうね。赤塚城の出丸があったのかもしれませぬ。

それはともかく、乗蓮寺を有名にしているのは東京大仏の存在。東京大空襲や関東大震災などの戦災や震災が起きないように願いを込め、昭和52年に建立されたらしい。

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高さは基壇や蓮台の部分を入れて約12.5メートル。青銅製の鋳造大仏としては、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさだとか。

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境内には面白い表情をした石像などもありました。これは、がまんの鬼だそうです。

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どうしても、いなかっぺ大将の大ちゃんが「ドボジデそうなるの」と言って、いじけているシーンをイメージしてしまいます。

色鮮やかな花壇が印象的な板橋区立植物園

乗蓮寺の奥にあるのが板橋区立植物園。広さは約1ヘクタールとのことでそれほど広くはないですが、樹木見本園として多くの種類の樹木や草花を見ることができます。本園と万葉・薬用園があり、薬用園では万葉集で詠まれた植物や薬用植物が植えられています。

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園内は、芝生のスペースや竹林、花壇など変化に富んでいて、ウォーキングで疲れた足腰を休めるにはもってこいですな。

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板橋区最古の仏寺・松月院大堂

乗蓮寺の前の道に戻って右折し、しばらく歩くと左手に歴代の徳川将軍から保護されて発展した松月院があります。

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このお寺は幕末、近くの徳丸ケ原で行われた西洋式の砲術訓練の際、本陣となったそうですよ。ちなみにそれを取り仕切ったのが砲術家として有名な高島秋帆。それが縁で、徳丸ガ原が高島平と呼ばれるようになったとか。

元来た道をさらに進むと、右手に歴史のありそうなお堂が…。これは、松月院大堂。

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大堂というには多少小ぶりな建物ですが、南北朝時代は、七堂伽藍をそなえた大寺院であったらしい。それで、村人は大堂と言っていたそうな。イメージはまったく違っているのに、南北朝時代の呼び方が今も残っているとは驚きですね。区内最古のお寺でもあるそうで、境内にある梵鐘は1340年の鋳造だそうですよ。

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しかもこの阿弥陀堂は、古墳の上に建てられたものらしい。古墳の痕跡はあるのかなと、下を覗いてみたのですがよくわかりませんでした。

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上赤塚氷川神社の富士塚になったと言われる古墳もありましたね。探せば東京も、知らないところにたくさん古墳が隠されているのかもしれませぬ。

2015年12月17日

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