円覚寺舎利殿と双子!東村山市「正福寺」の国宝地蔵堂

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東京都の国宝建造物は、迎賓館とここ正福寺の地蔵堂だけです。そしてこの地蔵堂は鎌倉円覚寺の舎利殿と瓜二つの、まるで双子のようだと評判です。迎賓館や舎利殿が限定公開であるに対して、この地蔵堂はいつでも参拝できる、ある意味非常に奇特な寺院なのです。

かつて志村けんの「東村山音頭」で脚光を浴びた、知らざれる東村山市の正福寺の魅力をご紹介いたしましょう。

武蔵野に佇む正福寺

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国宝の有る正福寺は、武蔵野の風情を今に残す多摩湖の近くにあります。

国木田独歩の《武蔵野》は、一つの土地における憧憬を描いたエッセイに近い作品で、当時の日本では類を見ない作品と評価されました。その独歩の見つめたナラ林や落葉樹で覆われた森、そしてそこにかかる綿のような雲の先に東村山が見えたことになるのです。

そんな武蔵野の情景の中にある正福寺への境内は周囲どこからでも入れるのですが、やはり正面の山門からの光景は格別です。山門脇にあるどっしりとした国宝を表す石柱が、国宝であることの重厚感を醸し出しており、山門から正面に見える堂宇が本堂ではなく、地蔵であることが国宝の重みを表しています。

北条時宗所縁の寺院

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正福寺は臨済宗建長寺派の末寺として1278年に、時の執権北条時宗により開創されたと伝えられています。

一説によれば、北条時宗はこの地で鷹狩の際に病に倒れた時、夢枕に地蔵菩薩が現れたそうです。「貴公の命日数ならずこの丸薬を服用せば、立ちどころに病魔退散す」とのお告げにより、眠りから覚めた時には病が治っていたのです。

このお告げを時宗は「地蔵菩薩のおかげである」と飛騨の工匠を招いてこの地に七堂伽藍を造営させたと伝えられ、以来、地蔵信仰が篤くなったのです。但し、昭和9年改修の際に発見された墨書銘には、室町時代の1407年の建立と判明しているのです。

国宝千体地蔵堂

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地蔵信仰の本尊が祀られているのが『千体地蔵堂』。

室町時代の建立と云えども鎌倉時代の禅宗様(唐様)建築の代表的な建造物として国宝に指定されています。その特徴は建物の中心から放射線状に垂木が伸びる扇垂木や窓の上部が栗の頭のようになった火頭窓等の装飾が用いられていることです。

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この正福寺千体地蔵堂は、鎌倉の国宝円覚寺舎利殿と全く同じ様式で、まるで双子のようです。
(↓の写真が円覚寺舎利殿)

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建築年代もそれほどの差はなく、円覚寺舎利殿が南北朝時代で正福寺地蔵堂が室町時代であるというもの興味深いものです。これは「いざ鎌倉」の為にいつでも鎌倉に向かえる様整備された鎌倉から群馬県高崎周辺を結ぶ《鎌倉街道上道》が東村山市を通っていたことと無関係ではないでしょう。

小地蔵尊祈願所

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正福寺の本尊は千手観世音菩薩ですが、地蔵堂には地蔵菩薩が祀られています。

江戸時代になり、祈願する人が小地蔵の内の一体を借りて家に持ち帰り、願いが成就したら別に一体を添えて謝恩奉納する小地蔵尊祈願が流行し、近郊近在の住民が地蔵堂に小地蔵が奉納し1,000体となったことから千体地蔵堂と名付けられたのです。

小地蔵には正徳4年から享保14年の年号の入っている地蔵が多く、氏名や住所から東村山以外からも多くの方が参拝に訪れていることがわかります。

内部の見学は年3回ある一般公開日のみ可能です。また正福寺門前の菓子屋「清水屋」では、厄除け小地蔵取扱所として《木彫り小地蔵》が有料頒布されています。そして祈願成就したら、地蔵堂横に奉納されているのです。

神奈川県唯一の国宝建築物である円覚寺舎利殿と赤坂迎賓館が国宝に指定されるまでは、正福寺地蔵堂が東京都の唯一の国宝建造物であったことは実に奇遇です。

都民でも意外と知らない東京都の国宝を是非、一度参拝されてみてはいかがですか。

2016年7月13日

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