明治天皇御親祭150年祭!今年は武蔵一宮氷川神社が熱い

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初詣参拝客が毎年ベストテンにランキングされる氷川神社は、埼玉県さいたま市大宮区にあり、今や全国区と云っても過言ではありません。この氷川神社は、東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社で、他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」と呼ばれ、武蔵一宮として圧倒的な存在感を誇ります。

その氷川神社で今年、2017年に「明治天皇御親祭150年祭」というビッグイベントが催行される予定です。由緒ある氷川神社の歴史と明治天皇御親祭150年祭をご紹介します。

武蔵一宮氷川神社

氷川神社は社記によれば第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の創建と伝えられています。確実ではないのですが一般的に孝昭天皇の即位した時期が紀元前475年と云われているので、およそ2400年以上の歴史を持つ由緒ある神社です。

祭神は、須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。須佐之男命は日本神話に登場する神で、ヤマタノオロチ退治など知られる力強く雄々しい神です。

稲田姫命は、須佐之男命の妻で、ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、須佐之男命により姿を変えられて櫛になり、須佐之男命はこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治し、元の姿に戻った稲田姫命は須佐之男命と一緒に住むというドラマチックなストーリーを紡いでいます。

そして大己貴命は、須佐之男命と稲田姫命との間に生まれた子(あるいは子孫)と云われ、「国譲りの神」と云われています。一般的には密教の大黒天と神仏習合してできた七福神の一柱大黒様と云った方が一般的かもしれません。

延喜式では氷川神と記載されており、これが現在の氷川信仰の総本山氷川神社の前身と云われています。そしてヤマトタケルの東征の際に氷川神社で祈願したことから武士から崇敬され、中世以降、源頼朝を始めとする鎌倉・足利・北条・徳川氏等の坂東武者の信仰の対象にもなり、各地へ勧請されて氷川神社の総本社となったのです。

明治天皇御親祭

こうして武士から崇敬されていた氷川神社が一変するのが明治維新です。ご存じの通り、明治維新はそれまで武家政権だった世を朝廷(天皇)政権に戻すことで、時の天皇が明治天皇です。明治天皇は明治元年、都を東京に遷し10月17日に氷川神社を勅祭の社として定めたのです。

勅祭の社とは、天皇の命により勅使(使者)が例祭に遣わされ、布帛、衣服、武具、神酒、神饌等が贈られる神社です。したがってこの勅祭の社は天皇(皇室)のお墨付きをいただいたという事なのです。

元々、平安時代中期には全国に多くあった勅祭の社ですが、遠隔地へは行くのが大変なので平安後期には京都周辺の「二十二社」に限定されました。しかし、室町後期に中断され江戸時代にはついに復活することはなかったのです。そして明治になって復活し、初めて勅祭の社となったのが氷川神社なのです。

この際、明治天皇は桓武天皇が平安遷都後に賀茂神社(現・賀茂御祖神社と賀茂別雷神社)を祀った例に倣い、10月28日に氷川神社に行幸し、自ら祭儀を執り行ったのです。

こうして皇室の崇敬篤い氷川神社は、明治神宮。靖国神社、春日大社など現在ある勅祭の社16社の一つとして鎮座し、更に宮中で行われる一年最初の儀式で、四方の諸神を拝する「四方拝」では、伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・常陸国一宮(鹿島神宮)・下総国一宮(香取神宮)にも位置付けられているのです。

このように皇室からの崇敬の篤い氷川神社ですから、今年2017年に向かえる「明治天皇御親祭150年祭」は、氷川神社にとっては最重要なビッグイベントなのです。

癒しの氷川参道

由緒ある氷川神社は、その規模から「大いなる宮居」と呼ばれ、その周辺には門前町として多くの人たちが居住していました。現在の“大宮”という地名はこの「大いなる宮居」に由来しているのです。

江戸時代、氷川神社への参道は中山道の宿場町として栄えましたが、中山道と参道が重なっていたため、参道を街道にするのは畏れ多いことであると、中山道は参道沿いの家や旅籠などと共に西側に移転されました。これが現在の大宮の中心地を形成する基礎となったのです。

現在の参道は、当時の中山道(現・旧中山道)から神社まで、概ね2kmの表参道が、ほぼ南北一直線に延びていて「氷川参道」と呼ばれています。そして参道には、参道の距離を知るための「丁石」という石標があり、一丁が約109mですので、参道には十八丁の石標があります。この参道は概ね三区間に分れています。

旧中山道と分岐する一の鳥居から大宮中央通りまでの約1kmが第一区間で、参道のケヤキ並木が自然の癒しを演出しています。約700本ある樹木の内、約400本がケヤキです。この中には20本の市指定の天然記念物のケヤキにプレートが付けられていますので、是非、探しながら歩いてみてください。

第二区間である大宮中央通りから岩槻新道までの約300mは、「平成ひろば」と名づけられた公園です。戦後、大宮駅前に出来た露天商からなる闇市は、復興の妨げになる為、一年間の約束で第二区間に移転したのですが、40年余り留まり164戸の住宅と店舗が残りました。

そして昭和の終わりに再生され、「平成ひろば」として緑と水の憩いの場が出来上がったのです。

最後の第三区間は岩槻新道から三の鳥居までの約500メートルで、往時の面影が残された広い参道が続いています。毎年12月10日に「十日市」が開催され、正月三が日も多くの出店が立ち並びます。

ここで寄りたいのが参道沿いにある「氷川だんご」。創業40年の老舗だんご屋は参拝客に人気で、店内で焼くだんごは勿論のこと、揚げまんじゅうや酒まんじゅうも人気です。店内でも、食べ歩きでも食べられる手軽さで、ほのかに疲れた身体を癒してくれるでしょう。

三の鳥居を潜れば氷川神社の神域です。三の鳥居の近くには勅使を迎える「勅使斎館」と「勅使菜館冠門」があります。ここを中心とした「明治天皇御親祭150年祭」はどんなイベントになるのか興味津々です。

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2017年2月13日

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