元祖・妖怪博士が作った哲学堂公園は、ユニークな建物がいっぱい 東京都中野区を歩く

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有事の際は洪水調節池となる広大なスペースの公園

本日も、新宿区・中野区のウォーキングを続けます。高田図書館を出て、急な坂道を降り、妙正寺川公園へ。

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護岸の左が窪地になった公園で、コンクリートの広い空間を利用して、壁打ちテニスや野球をしている人がいました。

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実は、この広大なスペースは、洪水調節池のために作られた公園だとか。妙正寺川の水があふれそうになったら、サイレンとともに川の水がここに流れ込んでくるみたい。広い河川敷がないので、都会には必須の施設かもしれませんね。

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精神修養の場としても魅力の哲学堂公園

妙正寺川にかかる四村橋を渡ります。対岸の緑の中にあるのが、哲学堂公園。

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ここは、東洋大学の創立者でもある井上円了博士が、東洋大学の前身である旧哲人館大学の創設を記念して、四聖堂を建設したのが始まりとか。四聖堂の四聖とは、釈迦と孔子、カント、ソクラテスといった東洋・西洋の哲学者のことらしい。

そして、四聖堂が哲学堂と呼ばれたことから、この名前がついたのですね。それが作られたのが、明治37年。明治39年には、精神修養公園となり、その後、公園は、東京都に寄付された後、昭和21年に東京都立公園として開園されたそうな。そして昭和50年に東京都から中野区に管理が移ったとのこと。敷地面積は、5万平方メートルというから堂々たる公園でもありまする。

哲学は一般教養科目で勉強しましたが、何かわかったような、わからないような曖昧なイメージの学問でした。深く考えると、頭がパンクしそうになったので、ほどほどにしときましたけど…。

哲学と聞いて、眉間にしわが寄りそうになるのを、美しい日本庭園が癒してくれました。難しいことを考える前に、まずは脳みそのリフレッシュが必要なのですね。

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ちなみに、この辺りは鎌倉時代の武将・和田義盛の館跡だと伝えられているらしい。城跡の痕跡はなかったですが、台地の裾を川が流れる地形にその可能性が納得できました。

哲学的?な趣のある建物がいっぱい

さて、いよいよ中へ。入り口に、哲学とか真理界とか書かれていると多少緊張しますな。

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敷地の中は、今でも古い建物が多数残されています。それぞれ哲学的?な趣のある建物なのですが、そのネーミングもなかなか面白い。

たとえば、公園の入り口の門が「哲理門」。

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一見、仁王門と思いきや、左右に祀られているのが、天狗と、何と幽霊ですよ。幽霊はリアルで、背筋が寒くなりました。何でも、天狗を物質界、幽霊を精神界の象徴として不思議・不可解を表しているのですか。井上円了が妖怪博士と呼ばれるのも頷けますな。

哲学堂公園のランドマークタワーと言えるのが、「六賢台」。

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明治42年に建立された木造六角塔で、外観2層・内部3層の構造だとか。聖徳太子や荘子、朱子ら東洋の六賢人の肖像を各面に扁額として掛け、名称を鋳刻してあったらしい。

そして、哲学堂公園の名前の由来となった「四聖堂」。前にも述べましたが、本堂に東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの「四聖」を世界的四哲人として祀るために建立されたのですな。

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これは、木造平屋建の普通の建物に見えるのですが、名前は何と、宇宙館ですか。

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宇宙が名前に付けられているだけで、なんとも不思議な気分にさせられました。解説板によれば、哲学が宇宙の真理を研究する学問であるとの観点にもとづき、内部にある八畳敷の一室を哲学の講習の講義室として設けられそうな。

この建物のネーミングはもっとすごいですよ。これは、大正4年に建立された絶対城。

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城好きとしては、これ以上の難攻不落の城はないというネーミングではないかと思いました。万巻の書を哲学界の万象とみたて、それを読み尽くせば「絶対の妙境」に到達するという寓意から図書館を絶対城と名づけたとか。いわゆる井上円了の蔵書を中心とした図書館なのですか。意味はわからなくても、感覚的にはフィットするかも。

宇宙館の横にある三角形の小さな丘は三角山と呼ばれているそうな。その頂上に建っているのが、三學亭。

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日本的なものとして建築された円柱3本で正三角形をつくる平屋のあずまや。平田篤胤(神道)・林羅山(儒道)・釈凝然(仏道)の三者を祀るもので、三角と音が通じることから、三角づくしの意匠となっておりまする。

ほかにも、77箇所にわたって哲学と関連あるネーミングがつけられた施設や場所がありました。京都には哲学の道がありますが、哲学の公園でゆっくりと思索にふけるのも、たまにはいいかもしれませんね。

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世界の宗教・哲学・法を代表する著名人に出会える哲学の庭

公園内にある橋を渡ったところにあるのが、哲学の庭。

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ここは、2009年に日本とハンガリー外交関係開設140年・国交回復50周年の記念事業の一環として作られたものらしい。ハンガリーの首都ブダペストにも、これと同じ「哲学の庭」があるそうな。

妙正寺川公園から続く庭には、古代からの宗教・哲学・法を代表する著名人の彫刻が、それぞれ同心円上に配置されておりまする。

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著名人とは、たとえば、釈迦やイエス・キリスト、古代エジプト王イクナートン、達磨、アッシジのフランチェスコ、聖徳太子、古代バビロニアの王ハンムラビ、東ローマ皇帝ユスティニアヌスなど。世界史も、少し勉強しておけばよかったと思う今日この頃。

住宅街にそびえる巨大ドームとユニークな形のお墓

哲学堂公園の中の野球場で行われている草野球の試合を観戦したあと、次に向かったのが「水の塔公園」。

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住宅街のど真ん中に、巨大な円柱とその上のドームが目を引きますね。

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これは昭和初期にできた水道タンクで、野方配水塔というのだとか。昭和41年まで実際使われていたそうですよ。

公園を抜けて左へ進み、右に見えるのが蓮華寺。苔が美しい寺でしたが、ここには先ほどの哲学堂公園の創立者でもある井上円了の墓がありました。

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それにしても、墓石まで哲学的な造形なのでしょうか。

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住宅街に残る戦国時代の爪痕

新青梅街道へ出てしばらく歩くと、江古田公園。公園の中に、「江古田古戦場」の石碑がありました。

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なんでも、1477年に、太田道灌と豊島泰経が激戦を繰り広げた場所らしい。この戦いに勝利した太田道灌は、武蔵野一帯を完全に支配したのですな。付近には、この合戦の戦死者を葬ったとされる「豊島塚」が点在していたらしい。

後北条氏以前の関東の戦乱は錯綜していて、理解するのが難しいのですよ。歴史資料が少ないのも原因の一つではないかと。

それにしても、この辺りの妙正寺川の渓谷はなかなか迫力がありますね。個人的には、哲学堂公園の場所より、こちらのほうが城跡には適しているような気がしました。

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住宅街の中を歩くと、江古田氷川神社や東福寺などの神社仏閣が並んでいます。東福寺は、徳川吉宗が鷹狩りの際、休憩所になった由緒のあるお寺らしい。

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境内の一角に、大きな徳川将軍御膳所の石碑がありました。さすが、暴れん坊将軍はアクティブですね。

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2016年9月14日

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