大徳寺塔頭の名庭園と千年続く和菓子店を訪ねて!
大徳寺は紫野の一角を占める洛北一の大伽藍で多くの塔頭が存在しますが、元応元年(1319)に小さな院に始まっています。この辺りは、平安時代都の北のはずれで葬送地(化野、鳥辺野)のひとつで、(野)の付く場所は都のはずれで葬送地でした。また西南には船岡山という小高い丘があって、桓武天皇が平安京造営するに基準点がここ船岡山にありました。
京都駅からは、101または205系統の市バスに乗車、大徳寺前で下車します。
大徳寺
【南 門】
【金毛閣】 茶会で派手好みの秀吉が黒を嫌うことを知りながら、千利休は「黒は古き心なり」と家臣の前で平然と黒楽茶碗に茶をたて秀吉に出しました。秀吉はメンツまるつぶれ…案の定一か月後、秀吉から「京都を出て堺にて謹慎せよ」と命令を受け、やがて秀吉との対立で切腹することになりますが、決定的理由として利休が参禅している大徳寺の金毛閣(三門)を二年前に私費で修復した際に、金毛閣の上層に木造の利休像を置いた結果、下をくぐった秀吉は、無礼だということで利休に謝罪を求めるが、断ったため切腹させられます。(享年六十九歳)
続きがあります。利休の木像について、実際は大徳寺がお礼に作って置いたそうです。
【仏殿】
【法堂】
大徳寺納豆
古来より大徳寺に伝わる保存食で、味噌や醤油に近いもので醸造製品の部類に入り、味は味噌を香ばしくした塩味です。抹茶、緑茶、コーヒー、紅茶に、また清酒、焼酎、ビール、ウイスキーのおつまみにと勧められました。
大徳寺納豆は、大徳寺総門前にあります創業六百余年の「大徳寺一久」で買い求めましたが、製法を一休禅師から授かり店名も文字は異なりますが、呼び名は同じの「一久」名を給わったそうです。
龍源院
龍源院は永正年間(1504~21)東渓宗牧禅師を開祖として、能登(石川)の畠山義元が豊後(大分)の大友義長らとともに創建。方丈、玄関、表門は創建当初のもので、禅宗の典型的形式を示しているそうです。
【一枝坦】(いっしだん) 庭は仙人の住む不老長寿の島(蓬莱山)を表現しています。右の小さな石組が「鶴島」、中央が「蓬莱山」、手前の石組が「亀島」で、白い砂は大海原です。
阿吽の石庭【滹沱底】(こだてい) 庭の銘は宗祖の臨済禅宗が住庵した、中国河北の鎮州城の南に流れる滹沱河よりの名で、阿吽とは吸う息、吐く息のことで、天と地、陰と陽など切り離すことの出来ない宇宙の真理を表現している庭だそうです。
阿吽の石庭=阿の基礎石
【龍吟庭】室町時代特有の三尊石組からなる須弥山形式の枯山水庭園で相阿弥の作で苔は大海原を表わし、石組は陸地を表わしています。
方丈内の襖に描かれた「龍の図」
高桐院
【客殿南庭】江戸時代初期に造園。楓を主とした庭ですが、四季の自然を感じさせてくれる庭園です。中央にある灯篭は鎌倉時代に作られたそうです。
茶室【松向軒】三斎の手で造られ、茶室には珍しい黒壁で簡素な中に幽玄さをたたえた名席といわれています。
この灯篭は、細川三斎とガラシャのお墓ですが、もとは利休の名灯篭で、秀吉と三斎の両者から譲ってほしいと請われたため、利休は裏面を欠き、疵物と称して断ります。ここにあります理由は、秀吉を嫌った利休は切腹前、三斎に譲られ「無双」という銘を持ちまた「欠灯篭」ともいわれましたが、三斎は生前愛好してお墓に当てられたそうです。
塔頭は多くありますが、撮影禁止の塔頭が多いです。
今宮神社へ向かいます。
今宮神社
平安遷都後、都には疫病が流行するが、その理由が非業の死を遂げた早良親王の祟りということで、一条天皇はたびたび御霊会を催し、正暦五年(994)神輿を船岡山に安置する。その後長保三年(1001)ここに疫病払いの神として神殿を造営する。今宮の名は本殿の左の石段の上に神殿を造る以前から「疫神社」があって、その古い疫神社に対し新しい宮として付けられたそうです。
【本殿】
【阿呆賢さん】(あほけんさん)
この阿呆賢さんの石は古くから「神占石」と云われ、病弱な人はこの石に心を込めて、病気平癒を祈り、軽く手の平で撫で体の悪いところを摩れば健康を取り戻せる。また「重軽石」とも云われ、願い事を込めて持ち上げた時に、思ったより軽ければ、願い事が成就する石だと伝えられているそうです。
今宮神社門前
今宮神社を訪れた日が水曜日でなければ、帯刀した武士が現れそうなこの場所を、訪れていただきたいと思います。
両サイドには和菓子を売る店があります。店名は左が「一和」右が「かざりや」で、一和は創業1000年、かざりやは創業600年で両店とも名物の「あぶり餅」一品のみを売っています。一和は平安時代からある日本最古の和菓子店で、応仁の乱や飢饉の時には振る舞ったと言われています。
【一和】
【かざりや】
【あぶり餅】きな粉をまぶした餅を竹串に刺し、炭火で焦げ目を付け白味噌のタレに浸されます。昔は今宮神社のお下がり餅を使用したそうです。
価格 1人前 1皿15本(お茶付) 500円、お持ち帰り 3人前 1500円
両店とも同価格で休日も同じ水曜日です。
鬼平犯科帳
付けたしで最後となりますが、鬼平犯科帳のラストシーンはこの場所で撮影されました。
下の写真は、その映像と同じカットで撮りました。
一和の店主曰く「この時はウチはおうどん屋さんどしたわ」
京の散策人
2015年10月22日