兵庫県の隠れ温泉地!宝塚温泉で低速徘徊〜石モノ基礎編<1>

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宝塚と聞くと「すみれの花咲く歌劇団」と即答される方がほとんどだと思いますが、実は温泉地でもあるんですね。温泉が開かれた鎌倉時代、宝塚温泉としての開業は、明治20年(1887年)なんだそうです。

ちなみに鉄道は、同年に阪鶴鉄道(現在のJR西日本福知山線)が開通、明治43年(1910年)に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄宝塚本線)が開通、宝塚歌劇の初演は大正3年(1914年)だそうです。

それまでの宝塚は、何もない武庫川河川敷の荒地で農地も集落もなかった場所なんですね。今回は「石モノ」をテーマに何回に分けて宝塚の町を低速徘徊をしてみようと思います。

震災後に激変してしまった温泉街

現在の宝塚には温泉地の雰囲気はなく、高層マンションが建ち並ぶ大都市近郊の住宅地の様相を見せておりますが、阪神淡路大震災前には、旅館やホテル合わせて50軒ほどあり芸者さんもいたとか。当時は戦前の別荘風住宅や企業の保養所が残るまだまだ温泉地の情緒風情を残す町でしたが、震災で町の様相は、がらりと変わってしまいました。

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動かせない大きな石モノ

トップの「宝塚温泉」と刻まれた石碑ですが、現在も営業を続ける唯一残った老舗ホテル横、宝来橋のたもとにあります。コノ石碑、昔の温泉地の写真にあるんですね。大きな石モノは、捨てることができず、その場に止まるか、寺社仏かくの境内や公民館や公園に移築保存されていることがよくあります。この石碑も同様なんでしょうね。

では、石モノの宝庫である神社へ行ってみます。今回は、JRならびに阪急の宝塚駅より北東に徒歩約10分、旧有馬街道に面した場所にある川面皇太神社(かわもこうたいじんじゃ)に行ってみます。まずは、前回記載しました視点、奉納者の名前から小さな歴史を探ってみます。

現在に繋がる奉納者名があった〜♪

境内の石碑やら石垣やらを見るにー大正11年7月に参道を直したと記載されています。参道改修の1年後に鳥居横の神社名の石柱建てられたんですね。で、この石柱に沢山の個人名やお店の名前が刻まれています〜♪ 鉄道か敷かれ、宝塚温泉が繁盛しだした時代に氏神様へのお礼とばかりの参道の改修と神社名の石柱を有志で建てたんでしょうね。

で、早速ネット検索…残念ながら個人名にはヒットありません。では、左端の「寳(宝)山閣」は旅館? その隣の「*月」の最初の略字はなんて読む? 草冠の「茶」ではなく竹冠の「琴」? 琴月は屋号かな…?

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ネット検索で見つけた大正2年の古地図をよくみると、宝来橋の上に「宝山」。これは、奉納者名の「寶山閣」で震災前迄あった「ホテルホウザン」だと判明。橋の下に「キン月」とありこれが「琴月」ですね。何屋さんだろうと更に検索してみると…。

100年続く老舗店「琴月」

今も宝塚で営業されている100年続くお寿司屋さんの「琴月」でした。ブログにアップしたら琴月さんのご主人から下記のようなメールを頂きました。転載しておきますね。

琴月さんのHP

明治四十五年、阪鶴鉄道宝塚駅開業時
奈良県吉野村出身の曽祖父 初代吉田新太郎が 大阪にて修行ののち
宝塚温泉街にて御寿司 ・お料理の店 琴月を創業いたしました。
皆様にご贔屓いただき、お陰様で100年を超えました。
栄山は昭和50年ぐらいに廃業した旅館です。
相生楼さんは現在、宝塚南口にて料理店をされています。
玉突は、現在の若水さんの前でビリヤード店をされていましたが
今は廃業されています。

 

石モノには、残された小さいな町の記憶が刻まれているんですね…次回の低速徘徊のテーマは「残留階段」です。なお、トップの宝塚温泉の石碑は、下記の写真の宝来橋左側端にあります。

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2015年10月19日

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