埋蔵金、雷から乙女を守った木… さまざまな伝説に彩られる神奈川県三浦半島・追浜を歩く

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風光明媚と断崖絶壁の岩山がコラボで楽しめる

今回行ったのは、東京都民のオアシスのひとつとも言える三浦半島。自然にあふれた海と山が手っ取り早く堪能できる場所は、東京近辺にはあまりありませぬ。東京から1時間もかからずに、海と山のコラボが味わえるのですからね。

自然にふれあい、ストレスを解消しようと、私は二十代の頃からよくこの半島を訪れました。日帰りできるのに、横須賀のホテルに泊まって、地元の人たちしか行かないような場所を歩き回ったこともあります。

何十年にもわたって行き続けてきた三浦半島ですが、今回行ったのはまだ行ったことのないエリア。しかも、何で今までこんな素晴らしいところ知らなかったの?というくらいお得感のある場所でした。

それは、横須賀市の追浜です。ちなみに「おいはま」ではなく、「おっぱま」と呼ぶのですな。その由来はよくわかりませぬ。「浜」というくらいだから、海がそばにあるというのはわかるのですが…。

追浜は、有名な観光スポット、金沢文庫と横須賀に挟まれたところ。当然、金沢文庫や横須賀は何度も訪れているのですが、この追浜駅周辺は、これまで素通りするだけでした。行ってみようと思ったのは、以前、無料の「お散歩マップ」を駅で手に入れたからです。何気に、そこに載っている風景写真を眺めていたら、断崖絶壁の岩山と風光明媚な岩山のコラボが…。

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三浦半島に、こんな雄大な景色の場所があったのですか。マップには、追浜の歴史スポットを巡る海のそばのAコース、そして「湘南妙義」と呼ばれた鷹取山のハイキングがメインのBコースがありました。それぞれ、6キロと7キロの決して短くないコースですが、二日に分けて行くのも交通費がもったいないからと一日で踏破することにしたのです。交通費といっても、私鉄だし、それほど高いわけではないのですが…。

国境に立つお堂と雷から乙女を守ったビャクシンの木

それはさておき、スタートは追浜駅から。急行の停車駅ではないのですが、駅前の国道は交通量が激しいし、わりと垢抜けた商店が多く、さすが湘南だと思いました。マップを見ながら、最初の目的地、傍示堂(ぼうじどう)を目指します。

コンクリートで作られたお堂の中には、庚申塔やお地蔵様。

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解説板を読むと、江戸時代まではこの辺りが武蔵国と相模国の国境だったそうですね。また江戸から浦賀へ通じる浦賀道の相模国の起点でもあったらしい。そういう重要な場所に、このようなお地蔵さんをお祀りして、国境の監視をお願いしたのでしょうか。悪い病気が入ってこないよう、宗教的な意味合いもあったのかもしれませぬ。

そんなことを考えつつ、次のスポット、雷神社にお参りします。かみなり神社?と読むのかと思ったら、いかづち神社なのでした。名は体を表すと言いますが、雷にちなんだ縁起があるそうですね。何でも、この近くに築島と呼ばれる場所があって、12人の乙女たちがおこもりを続けていたそうなんですよ。

そこへ突然、鷹取山の方角からものすごい稲妻と雷鳴が起こり、ビャクシンの木に雷が落ちて木は黒焦げになったとのこと。でも、近くにいた彼女たちはかすり傷ひとつなかったらしい。それで、築島に雷神社が祭られ、そして豊臣秀吉の時代に、現在の場所に移されたのですか。神社の由来には、荒唐無稽な伝説が少なくないですが、これはリアルな話で、現実にあったのだろうと思いました。

本殿の前にある丸い輪。これは、茅の輪といって、これをくぐることによって、身を祓い清めるそうな。本殿の赤と茅の輪の緑が鮮やかですね。

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再び駅前に戻り、さきほど聞いた築島と呼ばれる場所へ行ってみることにしました。すると、ありましたよ、例の木が…。

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なんとなく、黒ずんでいるし、落雷にあったと思われるような節も。でも、もちろん当時の木ではないでしょう。それでは、12人の乙女は? と、まわりを探したのですが、残念ながら出会うことはできませんでした。

三浦半島にも埋蔵金伝説が

そこから駅前の大通りに出て右折し、ひなびた商店街をテクテク歩きます。急な細い坂道を登り、住宅が建ち並ぶ小道をさらに行くと、観音寺。

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このお寺は、地元の人でなければ知らないような丘の上の奥まった場所にありました。丘の名は、見漁台というらしい。一発で、昔ここでどんなことが行われていたのかわかるネーミングですな。

ここからの眺めは、江戸時代は「浦郷八景」と呼ばれるほど美しかったらしい。住宅の屋根が建ち並ぶ風景でしたけど、お寺の境内は山寺の鄙びた感じがあって癒されました。あとで調べたら、この台地は、かつてこの辺りの領主だった朝倉氏の城があったそうな。それならもう少し、城跡ウォッチングをすればよかった、と…。

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しかも、この台地には埋蔵金伝説もあるそうなんですよ。噂によると、なんと、漆千杯、銭十億万両の宝物だとか。それだけのお金があったら、仕事しないで毎日、お散歩できるのに、と思いました。お金があってもなくても、あまりライフスタイルは変わらないようで。

戦国時代の船の見張り所からの眺望

それはともかく、台地の反対側へ降り、バス通りをしばらく行くと、能永寺。時宗のお寺だそうで、なんと開祖一遍上人自身が開基されたのですか。歴史の感じられる古い山門がいい味を出しています。

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そして能永寺の隣にあるのが、正観寺。

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こちらも、小高い丘の上にあって、深浦湾を見下ろす、境内からの眺めが素晴らしい。

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それもそのはず、この場所は戦国時代の後北条氏の頃、船の見張り所があったと伝えられるそうですね。穏やかな港の風景で、ここなら当時の船も安全に航行できそう。

ヨットハーバーは、鎌倉時代の港

深浦湾を見下ろす丘を降りて、まず向かったのはヨットハーバー。

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かつては、榎戸湊と呼ばれ、鎌倉時代には、金沢、浦賀と並ぶ鎌倉の外港だったとか。当時は、能永寺の門前のあたりまで海だったそうですね。 海岸沿いにウッドデッキの遊歩道が延び、湊の風景が堪能できました。

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それにしても、海水がきれいで透き通っています。私の子供の頃は、東京近郊の海はどこも汚かったので、海の底が見えるというだけでも感動です。快適な遊歩道を歩いてゆくと、漁船もたくさんつながれていました。

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九州が舞台の西南戦争で亡くなった兵士の墓が三浦半島にある

ふたたびバス通りに戻り、追浜トンネルの手前の階段を上ります。緑あふれる小道をしばらく行くと、古い墓地がありました。ここが、官修墓地。

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なんでも、明治10年の西南戦争の政府軍兵士の墓だそうな。でも、西南戦争は、九州が舞台。どうして三浦半島に、こんなにたくさんのお墓があるの?と思ったら、戦争が終わって東京へ戻る途中、船の中でコレラが発生したらしい。それで、多くの病死者が出てしまったのですね。

戦争で生き残ったものの、帰りの船の中で、しかも病気で死んだのでは、さぞ無念だったろうと思いました。ただ、これだけ立派な史跡になっていると、多くの人たちが訪れて冥福を祈るのでしょう。もしかして、今現在では、普通に亡くなった人たちよりも、天国では幸せなのかも、と思ったりしました。

官修墓地から続く小道は尾根道に続き、やがて視界に、金沢八景方面が見渡せます。

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遠くには、八景島シーパラダイス、近くに見える小山のような丘は野島でしょうか。晴れた日には、富士山がよく見えるそうですね。晴れていたので富士山を探したのですが、靄がかかっていてよく見えませんでした。

正面の公園の中にあるスタジアムからは、大きな歓声が…。

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耳をすませてみると、プロ野球の二軍の試合が行われているようでした。そういえば、横須賀スタジアムがフランチャイズの湘南シーレックスってチームがありましたね。わりと立派なスタジアムで、大洋ホエールズ時代の川崎球場より広いかも。

2015年9月15日

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