城下町・小田原の歴史、文化に触れ合う旅 神奈川県小田原市の文学・歴史散歩

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詩人・北原白秋ゆかりのみみずくのお寺

本日も小田原を歩きます。大久保神社を出て、相洋高校の前の道を戻り、小峰の大堀切の下に出ます。この辺りはかなりの高台にあって眺望が素晴らしい。

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小田原の市内はもちろん、伊豆や真鶴半島。そして小田原攻めで、豊臣秀吉が陣を張った石垣山城まで見通すことができました。この場所に立つと、一夜にして城ができたと北条方は大騒ぎしたのも頷けますな。ただ、行った日は曇っていて、突き抜けるような絶景とまでは行きませんでしたが…。

急な坂道を下ると、何やら曰くありげな三差路があります。

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解説が刻まれた石柱には、この近くは総構えと三の丸の空堀が接する場所だと書かれていました。それがこれらの道に影響を及ぼしているのだろうかと、ブラタモリ的見地から考察を加えます。

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いくら眺めていても、ここでは結論が出ないので、再び坂を下って小田原の市街地へ昔ます。その途中にあるのが、伝肇寺(でんじょうじ)。

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ここは詩人の北原白秋が34歳のとき、小笠原からこちらの境内に居を構えて移り住んだそうですね。その家が屋根も壁も茅葺の南方的な庵室だったらしい。その姿が木菟(みみずく)に似ていたので、白秋自ら「木菟の家」と呼んだとのこと。

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小田原はともかく、北原白秋が小笠原の父島に一時住んでいたというのは驚きました。何でも奥さんが肺結核になったから空気のいいところで静養したそうなのですが。

境内は、木菟がいっぱい。狛犬ならぬ狛みみずくですか。

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ベンチも、かわいいみみずくに挟まれて休憩できそう。もっとも、つぶらな瞳が見られていると思うと、落ち着かないかもしれませんが…。

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豪快な神輿担ぎで有名な居神神社

国道1号まで降り、次に向かったのは、鎌倉時代末期の石碑のある居神神社。

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解説板には、小田原の後北条氏に討たれた三浦荒次郎平義意(よしおき)の霊もお祀りしてあると書かれていました。

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三浦氏といえば、司馬遼太郎の「箱根の坂」で北条早雲との激闘の様子が印象に残っています。早雲に追い詰められた三浦氏は、三浦半島の新井城に3年間も籠城したあと滅亡したのですよ。

後で調べてみると、三浦荒次郎義意は三浦氏最後の当主ですか。北条の大軍に突っ込んで壮絶な戦死を遂げたそうですが、その際、自分の首を切り落として自害したと伝えられておりまする。そして、その首がここまで飛んできて木に引っ掛かったという伝説が。首は、木にぶら下がったまま、さまざまな災厄をもたらしたらしい。

それを聞いたある御坊さまが供養して災厄は収まり、首がひっかかった場所に祀られたのが、この居神神社ですか。平将門にも似たような伝説があったと記憶していますが、それだけ北条氏と当時の小田原の人たちは、三浦氏の怨念を恐れていたのかもしれませぬ。

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行った日は、ちょうど神社のお祭りが行われていました。

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神社の境内にあった神輿を担いで、急な階段を降りる迫力のシーンを見学できて得した気分。

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この荒っぽい担ぎ方は、居神流というらしい。

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鳥居も担ぎ手がしゃがむようにして、難なく通過。さすが、豪快な三浦荒次郎義意ゆかりの神社だと思いました。

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小田原藩主ゆかりの大久寺

居神神社を出て、道路を挟んだ反対側の大久寺へ向かいます。

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こちらは、寺の名前から江戸時代の藩主大久保氏の関係があるんだろうなと思ったら、やはり大久保氏の菩提寺なのでした。大久保神社に大久寺ですか。そのものズバリのネーミングですな。

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境内には、大久保一族の墓があります。このお寺は何度も登場する初代藩主・大久保忠世が開いたのですね。

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当時はまだ徳川家康が天下を取る前の時代、西国の抑えとして、小田原は江戸時代よりも重視されていたのかも。しかも、北条氏が滅亡した直後で、治めるには難しい場所だったと思います。それだけ、大久保忠世は高く評価されていたのでしょうね。

戦国小田原城の巨大さが実感できる早川口遺跡

東海道本線の線路を越え、しばらく行くと北条氏時代の小田原城の遺構である「早川口遺跡」がありました。

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ここも豊臣秀吉の小田原征伐に備えて作られた大外郭の一部なのだとか。土塁はかなり磨耗して低くなっていましたが、住宅街のど真ん中に北条氏の遺跡が残っているのはすごいですな。

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現在の小田原城址公園からもかなりの距離があり、当時の城の巨大さが改めて実感できました。

アイドル顔の文人たちに出会える小田原文学館

次に向かったのが、小田原文学館。

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趣のある古い洋館だったので、有名な人の家だったのかなと思ったんですよ。するとやっぱし、佐藩の藩士で明治維新後は宮内大臣などを歴任した田中光顕の別荘として建てられたのだとわかりました。ちなみに田中光顕は、司馬遼太郎の幕末ものに登場する人物。

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洋館は、昭和12年に建てられたスペイン風建築だそうで、今住んでも違和感のないモダンな建物。館内には、小田原出身やゆかりの文学者の作品や手紙、写真などが紹介されていました。たとえば、北村透谷や北原白秋、尾崎一雄、谷崎潤一郎、三好達治、坂口安吾など。

彼らは文学史の教科書にも登場する有名人ですが、私の知らない作家も大勢パネルで紹介されていました。中でも、井上康文という詩人は、今も時代でもジャニーズに入ったら人気が出そうだと感じました。「嵐」の松潤に似ていなくもない。もちろん、若い頃の写真ですが。

そういえば、さきほど城山公園へ行ったとき、井上康文の文学碑がありましたね。あまり考えずに、シャッターを押したのですが、こんなイケメンの詩人だったとは。

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ちなみに、田原俊彦に似ている作家もいましたよ。かつてはジャニーズにあらざるものはアイドルにあらず…なんて言われた時代もありましたが、明治・大正の文壇にもジャニーズブームはあったのでしょうか。

余談ですが、樋口一葉も、そのネーミングや五千円札の雰囲気から、古風でおとなしい女性のイメージですね。でも台東区の樋口一葉記念館に残された写真や手紙を拝見すると、結構キャピキャピギャルの一面もあったみたい。古いセピア色の写真から、セピア色の性格をイメージしてしまいがちですが…。

それにしても、私はどういう基準で人を見ているんでしょうね。

庭園を挟んで、尾崎一雄の移築された書斎や田中光顕の別荘の別館として建てられた純和風の建物では、北原白秋の童謡にまつわる展示もありました。古い日本家屋とマザーグースのミスマッチがまたグーですな。

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二つの用途がある小田原ういろう

さて、いよいよ最後の目的地・近世小田原城へ。国道1号線に出ると、道路沿いに小田原城の天守閣が…。しばらく見ないうちに、縮んでしまったのですかね…と、うけないボケをしても仕方ありませぬ。

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ここは、御存知、小田原名物の「ういろう」のお店ですか。知っていても、城みたいなフォルムの建物を見ると、フラフラと近づいてしまうのが城好きの悲しい性。まさか、城好きを吸い寄せるために、城みたいな建物を作ったわけではないと思いますが。

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それにしても、「ういろう」とは変わったネーミングですが、元々はお菓子のネーミングではなかったらしい。当初は、外郎(ういろう)家が作る薬のことだったそうですね。室町時代に、接客用に考案された米粉の蒸し菓子を「お菓子のういろう」と呼ぶようになったとか。

薬の「ういろう」の存在は知りませんでしたが、今でも店内で販売しています。ネットで調べると、仁丹と良く似た形状・原料で、現在では口中清涼や消臭等に使用するらしい。

薬とお菓子、それぞれが「ういろう」とは紛らわしいと思ったら、江戸時代も間違えた人がいたみたいですよ。フィクションですが、弥次さん喜多さんで有名な『東海道中膝栗毛』の中で、主人公の喜多八が菓子のういろうと勘違いして薬のういろうを食べてしまうシーンがあるらしい。

こちらのボケも年季がはいっているようで。

2016年6月8日

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