リレー徘徊3 呉服の語源と三つの神社(大阪府池田市)

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今回は、西宮で出会った染殿池の「二人の縫女工・漢織と呉織」の名前をリレーションして池田にある呉服神社に行ってみます。大阪府池田市は、大阪市の北部に位置する郊外の街で、軽自動車メーカーで有名なダイハツ工業の本社工場やチキンラーメン発明の町・インスタントラーメン発明記念館があります。上方落語が好きな方ならこの街の名を聞くと「池田の獅子買い」を思い付くでしょうね。ということで上方落語の資料を常設展示する「落語みゅーじあむ」がりあます。アクセスは阪急宝塚線か、JR宝塚線、中心部に近いのは阪急で、降りたらいきなり商店街です。

戦国時代の城跡公園

室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯などを支配していた地方豪族池田氏の居城跡地を城跡公園(注:毎週火曜日休園日/4月〜10月:9時〜19時/11月〜3月:9時〜17時迄開園)として整備&開放されています。園内のやぐら風展望休憩舎からの眺めは最高です!

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本日のおやつタイム

駅前の池田中央市場内に「日の出餅」という和菓子屋さんがーあります。ここで本日のおやつを買うことをおすすめします。大福、おはぎ、きなこ餅など色々売ってます。

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呉服神社

おやつを買ったらそのまま線路に沿って西へ向かうと呉服神社。着物の神様と最初思ってましたが、呉服と書いて「くれは」と読むそうです。染殿池の二人の縫女工のうち呉織(くれはとり)の祀られ神社です。神社の御縁起によると呉織は、昼夜怠りなく布帛を織り続け139歳の長寿をまっとうされたそうです。その功を労う為に仁徳天皇が、そのなぎがらを埋め塚を作り、翌年勅令で御神祠をお建てになり、それが呉服神社の創建の元になったと言う事です。

御縁起の最後に「これより我が国にて絹布の類をすべて「呉服(ごふく)」と称すると書かれてあります。呉服の語源は、こうだったんですね!!さて、もうひとりの縫女工・漢織(あやはとり)は、どうなったんでしょうか?

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猪名津彦神社

呉服神社の御縁起には、二人の縫工女を呉に向かい連れ帰ったのは「勅使・猪名津彦命(いなつひこのみこと)」と書かれてました。ん? 確か地図にあったような…呉服神社の東にあります。行ってみると小さな神社で、由来を知っていないと素通りしてしまいそうでした。

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染殿井

二人の功績に関する伝説や地名、遺跡が残っていて、それを順繰りに追うのも愉しそうなんですが、その一つに西宮と同じような伝説の残る「染殿井」跡で、あちらは「池」、こちらは「井戸」、さてどちらが本家なんやろかと想像してしまいますね。この遺跡もバックボーンの物語を知らないと草ボウボウの野良猫日向ぼっこの場所にしか見えないですよね。

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穴織(あやは)宮伊居太(いけだ)神社

調べると漢織が祀られているのは呉服神社の北の丘の上にある神社で、こちらを上の社、呉服神社を下の社と呼ぶそうです。駅から商店街を抜け、再興された城を右に見て、旧街道をたどると猪名川のねき、小高い丘の上に鎮座されています。思いの他、大きな神社です。神社由来を読んで「国をあげてに国策としての大事業だったので史蹟となるのか」と納得しました。

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最後にまとめ(ものすごくアバウト)

勅使・猪名津彦命が呉に赴き、遷移関係の技術者を大勢連れて帰国、一団が上陸した場所は、西宮えびす神社付近の松原のある浜〜ちなみに当時の大阪は淀川河口の大湿地帯で上陸には向かなかった〜ここで故郷を慕うふたりの縫工女・呉織と漢織。二人は現在の池田市に工房を構え100余歳迄、布帛を織り続け、時の天皇が業績を称えて御神祠を建て、それが呉服神社と穴織宮伊居太神社となって今に伝わる…

加茂神社(伊丹市)

などと頭でまとめて、さて帰るかと地図を見ると猪名川を挟んで南西の河岸段丘の北端に加茂神社があります。調べると創建年不明で、おそらく南北朝時代ではないかとの説。加茂神社と言えば京都の上賀茂・下鴨神社でしょう!!という事で次回は、京都に飛んでみます。

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2016年1月28日

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