東京都青梅市の古刹・塩船観音寺と名族・三田氏の居城、勝沼城を歩く 

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大化の改新の時代から続くといわれる塩船観音寺

本日も、東京都青梅市の三古城を巡る旅を続けます。三古城の中でも、メインディッシュと言える勝沼城へ向かうのですが、まずは途中にある塩船観音寺にお参りします。

このお寺は、なんと大化の改新で有名な大化年間にはじまるのだとか。鎌倉時代は、前回、お墓をご紹介した金子氏の庇護を受け、室町時代は後で向かう勝沼城の城主であった三田氏から帰依を得ていたという古刹です。室町時代後期に建てられたという本堂や阿弥陀堂は、国の重要文化財に指定されているらしい。

この仁王門も、寿永三年(1187)の建立で重要文化財なのだとか。筋肉フェチとしては、金剛力士の素晴らしい肉体にあこがれます。

さらに進むと、銅板葺きの簡素なお堂が現れました。これは阿弥陀堂。

もとは茅葺きだったそうですが、天井には板張りが無く、未完成のまま今日に伝えられたのではないかと言われているそうです。

後で完成させるのは難しくないと思うのですが、その理由が気になりました。後姿もすっきりしていて、室町時代の建物特有のシンプルさがいいですね。

さらに行くと、二本の大杉が出迎えてくれます。塩船観音の夫婦杉と呼ばれ、東京都の天然記念物になっているらしい。どちらも樹高40メートルを超え、古刹の歴史を感じました。

本堂の下にあるのが、この薬師堂。

茅葺のかわいらしい建物ですが、桃山時代の建物と推定されているそうな。そういわれてみると、先ほどの簡素な阿弥陀堂と違って華やかに感じるのは私だけでしょうか。ぼけ封じの幟に、ビビビときて、しっかりお参りしたのは言うまでもありませぬ。

室町時代に作られたという本堂は茅葺で、所々、苔が生えたような緑色の部分がいい感じを出しています。屋根の曲線も美しいですね。

堂内の本尊を安置する厨子は、とても精巧な作りで、扉内側には普賢菩薩・文殊菩薩が描かれているそうですよ。

平和観音へ向かう途中、上から本堂を眺めると、立派な茅葺屋根が傘のように見えました。お堂は下から見上げるより、上から見た方が、親近感がわくような。

春には、新東京百景にも選定された圧巻のつつじに包まれる

ところで、塩船観音寺といえば有名なのは、つつじ。

本堂から塩船平和観音立像へ向かうと、境内の周囲がぐるりとすり鉢状の斜面に囲まれているのがわかります。

行った日は、つつじの時期ではなかったですが、この広大な斜面につつじが植えられているのがわかりました。現在、境内には約1万7千株のつつじが植えられているのだとか。ちなみに、境内のつつじの景観は、新東京百景にも選定されているそうですよ。

塩船というネーミングは、周囲の地形が小丘に囲まれ、あたかも小船のような形状であることから名づけられたらしい。名付けたのは、天平年間の僧で、奈良の大仏造立の際の実質上の責任者であった行基と言われているそうですね。つつじは咲いていませんでしたが、緑の斜面だけでも絶景です。

丘の頂上にあるのが、塩船平和観音立像。

前回来たときはなかったような気がしましたが、平成22年に建立されたのですね。高さは、都内最大級の15メートルだそうですが、丘の頂上にあるのでさらに存在感がありました。 台座の部分は展望台になっており、広い境内ばかりでなく眼下に青梅の市街を眺めることかできます。

ここに、つつじが咲き乱れたらすごいでしょうね。

すり鉢の下に立つと、見渡す限りつつじに包まれる感じが味わえそう。是非、また来てみたいと思いました。

青梅周辺で、屈指の規模を誇る勝沼城

塩船観音寺を後にし、勝沼城を目指します。勝沼城も、築城の時期やだれが作ったか不明らしい。しかし、鎌倉時代の末期以降は幕府の御家人だった三田氏が城主を務めていたそうですね。

今井城同様、ここも入口がよくわかりませんでした。城跡のガイドブックによると、妙光院と光明寺というお寺の裏山であると書かれています。本の記述に従い、妙光院の左手の小道から登ります。

今は広い墓地になっている土地は、形状から見ると当時の郭の跡みたい。城跡に葬られたら城ヲタクとしては本望だと思いながら、坂道を登っていきました。

この段差も、きっと当時の土塁の跡なのでしょうね。

城跡はうっそうと木が生い茂り、昼なお暗い別世界。すぐ近くまで、住宅地が迫っているのですが、しんと静まり返っていささか心細くなりました。

メジャーな城跡には大抵、城の構造の地図があるのですが、ここは何もなくて迷ってしまいそう。勝沼城に来る前は、ネットの先人たちが作った「縄張り図」を頭に入れていたのですが、すっかりわからなくなってしまいました。

やはり、本を読んだだけでわかった気分になっていたら駄目で、まずは「現場」を実感しましたね。鉄塔のある場所が本郭という記述を思い出し、ようやく自分のいる場所をイメージすることができました。

本郭の下は断崖になっており、青梅の市街地を見下ろすことができます。当時の城主は、きっと毎日、この崖の上からの眺めを楽しんでいたのかもしれませぬ。

本郭から、ふたたび暗い森を歩きながら城跡の遺構を探します。勝沼城の構造は、三つの郭が並んでいる形なのですが、土塁や空堀、竪堀、馬出、帯郭みたいなスペースが複雑に絡み合って、なかなか縄張りのイメージを描けませぬ。

土塁や空堀といった防御施設は、なかなかの難攻不落さを感じましたが、こちらの城も、山城のような高さがないところがネックだと感じました。

事実、当時の城主だった三田氏は、北条氏から攻撃を受けると、この城を捨てて、奥深い山の中にある城に移って戦ったらしい。

それにしても、それぞれの郭の大きさは、他の戦国時代の城跡と比べてかなり大きく、当時の城主の勢力を実感するのでした。

大塚山公園には、勝沼城に付随する施設があった?

帰路は、城山通りから霞川を渡り、東青梅駅へ向かいます。

途中、さきほど勝沼城から市街地を眺めたとき、気になった場所があったので訪れてみることにしました。 それは、大塚山公園。

城跡と同じくらいの標高がある場所で、頂上が広場になっているように見えたのです。そこから見たら、きっと勝沼城内を見渡すことができたでしょうね。戦国の城としては、城の外から中の様子を見られたらまずいわけで、きっと勝沼城に付随する出丸のような施設があったのではないかと思ったのですよ。

近くへ行ってみると、霞川が丘の真下を流れている。これは、ますます城の痕跡があるのではないかと奮い立ちました。

大塚山公園の丘を登っていくと、思った通り、勝沼城を手に取るように眺めることができます。ちなみに、この写真では墓地の上の森の部分が勝沼城。

ただ、公園としてかなり改変されているので、土塁や空堀などの施設はまったく確認できませんでした。頂上部分は、配水所になっていて立ち入りできないので何とも言えませんが…。

帰ってから、大塚山公園をいろいろ調べてみたのですが、城跡として関連付けているページはなかったような。このように、素人がいろいろ想像を膨らませることができるのも、城跡めぐりの魅力かもしれませんね。

2017年5月24日

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