東京の定番観光スポット、増上寺と東京タワーをしゃぶり尽くす旅 東京都港区を歩く

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徳川将軍家の菩提寺・増上寺

今回は、東京の観光スポットの定番・芝の増上寺を歩きます。ウォーキングのスタートは、都営浅草線の大門駅。

存在感のある駅名ですが、もちろん西部警察の大門軍団やタイガーマスクの友人・大門大吾にちなんだネーミングではありませぬ。それは、この門に由来いたしまする。

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これは、増上寺の正面から伸びる大門通りに立つ総門。下を自家用車やタクシーがひっきりなしに走る現在の総門は、昭和12年に作られたコンクリート造のものだとか。

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巨大な門、…確かに大門ですね。しかし、ネットに調べてみると、この門は増上寺や東京都、港区の所有物ではなく、実際はわからないらしいのですよ。こんなに存在感はあるのに、管理者がわからないとは現代のミステリーかもしれませぬ。

総門の横を抜け、大門通りを行くと、突き当りの日比谷通りの向こうに、これまた巨大な朱塗りの門が聳えていました。

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これは、重要文化財の三解脱門(さんげだつもん)。三解脱とは、人間が持つ三つの煩悩(貪、瞋、癡)で、この門をくぐれば、それらから解脱できるのですか。煩悩にまみれた私が、救いを求めるように門をくぐらせていただいたのは言うまでもありませぬ。

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ちなみに、この門は、元和8年(1622年)に建立されたそうで、江戸初期当時の面影を今に伝えてくれる貴重な存在だとか。門をくぐって境内に入ると、東京を象徴するような芝の増上寺と東京タワーのコラボの絶景が…。

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同じ構図の写真をいろいろなところで見かけますね。やはり江戸と昭和のシンボルが、ひとつの被写体に収まるのは貴重なのかも。

増上寺は徳川家の菩提寺として有名ですが、開山は1393年だそうなので室町時代までさかのぼるらしい。現在の芝の地に移転したのは1598年。その後、江戸時代に大隆盛へと向かうのでした。

徳川家の菩提寺だけあって、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の、六人の将軍の墓所がもうけられています。 徳川家の霊廟は、本堂の後ろのほうにあるのですが、青銅製のいかめしい中門に閉ざされて、いつもは内部を見学できないのでした。

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かつての国宝・将軍墓所が特別公開された日

私は増上寺を初めてお参りしてから、数十年になります。中はどうなっているのだろうと、何度、空しくこの門を見上げたことか。そしたら2年前の日曜日、境内で「将軍墓所 特別公開」という文字が書かれたゲートを発見したのですよ。

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「見るなら、今でしょ」と喜び勇んだのでした。

見学料500円を支払い、長年の夢であった墓所へと向かいます。うれしいことに、写真を撮影しても大丈夫とのこと。芝の増上寺には、二代将軍秀忠をはじめ6人の将軍、5人の正室、5人の側室、そのほか歴代将軍の関係者が多数埋葬されているらしい。

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現在の霊廟は、将軍のお墓にしては質素な雰囲気かもしれませぬ。でも、かつてはそれぞれの将軍ごとに墓所や本殿、拝殿などのさまざまな施設が設けられていたそうなんですよ。それらは国宝に指定されていたらしい。

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ところが、昭和20年、戦争によってそれらのほとんどが焼失してしまったのですね。行った日は、ボランティアのガイドさんがいて、それぞれの将軍のお墓について詳しく解説してくれました。

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写真は、二代秀忠の宝塔です。どうしても、大河ドラマで秀忠と江を演じた向井理と上野樹里をイメージしてしまいます。

増上寺の将軍の墓には石製と青銅製の2種類がある

面白いのは、石製と青銅製のふたつの違いがあること。青銅製のほうがどちらかというと高価だそうですね。六代家宣は、あまり目立たない将軍ですが、青銅製でとても立派。

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同じように目立たない将軍の七代家継は石製で質素。この違いは、有名な八代将軍の吉宗が質素倹約をモットーに政治を行ったので、前代の将軍のお墓も節約して作ったらしい。

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十四代家茂は、大河ドラマの「篤姫」では松田翔太が演じて人気を集めましたが、こちらはやっぱり石製。

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これに対して、堀北真希演じた皇女和宮のお墓は青銅製ですごく立派なのですよ。

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夫婦でこの待遇の違いは、和宮のお墓が明治になって作られたので、皇室がその費用を負担されたかららしい。確かに、菊の御紋が宝塔に刻まれていました。お墓からも、当時の政治状況が伺えるなんて興味深いですね。

かつての増上寺は、広大な土地に日光の東照宮のような建築が並んでいた

将軍墓所を見学するときに、戦前の霊廟の写真や明治時代に作られた増上寺の境内全図のコピーをもらったのですよ。それらの写真や図面からも、戦争で焼失する前の増上寺の威容をしのぶことができます。

いかめしい青銅製の現在の門は、現在は徳川将軍家墓所門となっています。

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しかし、以前は六代将軍の家宣のために作られたものだとか。つまり、一人の将軍のお墓がそれぞれ、これだけの立派な門によって守られていたのですね。現在は、一か所にギュウギュウ詰めの感じで、将軍さまたちも少し窮屈そう。すると、現在とは比べ物にならないくらい広い墓所が必要となるのですな。

それはどこ?と思って、当時の境内の図面を見たら、現在の東京プリンスホテルの敷地が、そっくり将軍家の霊廟となっているではないですか。当時の建物や門が写されている写真を見ると、日光の東照宮のような壮麗な建築物がこの港区芝の土地に並んでいたのがわかります。それらは当時、国宝。昭和の戦争で焼けなければ、世界遺産確実の観光スポットになっていたかもしれませぬ。

九代将軍家重は、ものすごいイケメンだった?

終戦後の昭和33年、改葬に伴う墓地の発掘調査が行われたそうです。そのとき、土葬されていた将軍の遺体の綿密な調査が行われたらしい。

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前にも書きましたが、九代将軍の家重は、大河ドラマ「八代将軍吉宗」で、中村梅雀が演じて話題になりましたね。実際、生来虚弱の上、言語不明瞭で脳性麻痺とも推測されているらしいのですが、頭蓋骨の調査によって、ものすごいイケメンだったとわかったそうです。

言語不明瞭なイケメンは、ちょっとイメージできませぬ。中村梅雀のイメージが強烈ですが、実際はどんな俳優が演じていれば一番本人と似ていたのでしょうね。

空から増上寺を眺めてみよう

増上寺から見上げる東京タワーは素敵ですが、やはり展望台からの眺めに軍配があがりまする。…ということで、以下は別の日に東京タワーに上ったときに撮った写真です。

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東京タワーの展望台から見下ろすと増上寺がよく見えますね。

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写真の下の緑で囲まれたエリアは、さきほど紹介した徳川家霊廟。 ちなみに、東京タワーに上ったのは30年ぶりぐらい。今は、展望台の床に穴を開けて、下が覗ける趣向もあるのですな。

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高さ125メートルの展望台で、下はスケスケ。

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老若男女が、ビビりながら立っていたのが印象的でした。子供が、このガラスの上で飛び跳ねていたら、お母さんが青くなって走ってきたり…。まさか、子供が跳ねたくらいで割れないと思いますが。

帰りに、東京タワーの定番・蝋人形館へ寄ってみようと思ったら、閉館していました。閉館したのは、2013年の9月1日だそうですね。うぬぬ、あと一歩遅かったか。

そういえば、時代の流れから取り残されたように、蝋人形が古かったのを覚えています。個人的には懐かしかったですが、若い人はたぶん知らない人ばかりかも。

ただ、私には昔行ったときの写真があるのでした。

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でも、この女性は誰でも知っているでしょうね。永遠のアルカイックスマイルのモナリザです。あまりにもリアルで、あなたは一体誰?と話しかけたくなったのを覚えています。

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取材日 2013年11月3日

2015年10月30日

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