見上げてびっくり京都姉小路通に並ぶ老舗看板が凄い!

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都を千余年置かれた京都の街を歩きますと、看板を見て老舗と思われる店を多く見かけます。故事ことわざに「看板に偽りなし」「看板を背負って立つ」「看板倒れ」などがありますが、姉小路(あねやこうじ)通りには、多くの老舗が並び、そして時の有名人たちの筆による美術看板が見られます。

 

Microsoft Word - 姉小路通

1亀末廣 2春芳堂 3八百三(柚味噌)4彩雲堂 5河道屋 6桂月堂 7亀屋良永

亀末廣

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文化元年(1804)に初代「亀屋源助」は伏見から京に出て京菓子店を「亀末廣」としてここに創業しました。注文が徳川家お二条城から、また御所から「干菓子」を納めることが多くなってきましたが、その都度特別注文で「干菓子」は木型で作りますので、新しく木型を作る必要がありました。結果用済の木型の在庫が多くなったため、看板の額に使用されています。また檜一枚の看板文字は、近代書道の先駆者とされている「山本竟山」の書で、先々代五代目が依頼したそうです。

春芳堂

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創業は幕末の安政三年(1856)。初代の丹波屋嘉平兵衛は画家を目指しましたが、師匠の勧めで表具店を開くことになります。屋根にあります看板文字は、日本画壇の巨匠でありました「竹内栖鳳」が五十三歳の時の書です。春芳堂は栖鳳お抱えの店であったそうです。またのれんの上にある看板文字は、文人画家、儒学者であった「富岡鉄斎」の筆によるものです。東洞院通の角まで来て見上げますと、「柚味噌」の看板が目に付きます。

八百三

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柚味噌」は商品名でして、嵯峨水尾の集落で採れる上質の柚子を使った柚味噌を専門に製造・販売されている宝永五年(1708)創業の「八百三」さんです。柚味噌は精進料理には欠かせない調味料だそうです。さて看板文字ですが、画家、陶芸家、料理家として有名な「北大路魯山人」の書です。が実は模刻でして、店内にも看板がありましてそれは魯山人が自ら彫刻したそうです。

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右に「京都文化博物館」を見まして、麩屋町までしばらく二階を見上げて歩きます。

Microsoft Word - 京都文化博物館

Microsoft Word - 姉小路麩屋町

「姉小路麩屋町」までまいりました。右に「河道屋蕎麦ぼうる」の看板が見えます。「彩雲堂」は手前です。

彩雲堂

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江戸末期より絵具と筆を製造販売し、京都画壇を支えてきました老舗の「彩雲堂」です。看板文字は近くに住まいが近くにあって納品していた「富岡鉄斎」書であって、店の命名も鉄斎だそうです。隣は「河道屋」です。

河道屋老舗

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河道屋はそばとぼうろを売る十六代の老舗でして、看板文字は明治三十八年山科に「一灯園」を設立せて托鉢と奉仕に生きた「西田天香」ですが、たまたま店を訪れて、先々代を知り、大正初期に書かれたそうです。

寺町通南

寺町通りまで来ました。右に桂月堂があります。

桂月堂

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創業は明治十三年(1880)京都で最も早く洋菓子店としてオープンし、昭和三年にはロールケーキを発売されましたが、恐らく先駆だと思います。看板文字は初代と親交のあった「富岡鉄斎」です。

次はUターンしまして本能寺門前の亀屋良永です。

本能寺

亀屋良永

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創業は天保三年(1832)で代表銘菓は「御池煎餅」で茶菓子として逸品です。看板文字は先代が「武者小路実篤」のファンで、人を介して依頼し書いてもらったそうです。実篤が八十歳の頃の書とされています。(以上約40分の美術散策でした)

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