高層ビルと水辺の絶景、江戸時代の史跡が見事なアンサンブル 旧東海道品川宿周辺を歩く

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高層ビルと水辺の景観が絶妙な天王洲アイル

今回も、前回に続いて品川駅の近くを歩きます。今回は港区ではなく、私のホームタウン品川区です。ただ、この近くへ来るのは2~3年に一度ですが…。

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それはともかく、両区の間に架かる天王洲ふれあい橋を渡り、品川区へ足を踏み入れます。高層ビルが建ち並ぶこの辺りは、天王洲アイルと呼ばれる場所ですな。

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水辺のボードウォークを歩くのですが、東京海洋大学で長居したので、空腹感が絶頂に。多目的スペースの「シーフォートスクウェア」の文字が、目がかすんで「シーフードスクウェア」に見える異常事態に陥ってしまいました。

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さまざまな食べ物が売られているオープンテラスは、砂漠の中のオアシスに見えましたね。簡単に昼食をすませ、ほっと一息。

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天王洲アイルは、シーフォートタワー、東京フロントテラス、センタービルディング、JTBビル、天王洲銀河劇場などのビルからなっておりまする。多くはオフィスビルですが、レストランやホテル、カフェも多い。

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ちなみに、ネットで調べてみると、シーフォートとは「海の砦」を意味するのだとか。ここは昔、江戸幕府の第四台場の跡地だったらしい。これらの高層ビルのビジネスマンの何割が、この深い意味を知っているのかなと思ってしまいました。

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シーフォートスクウェアのガレリアは、広々とした印象的な大空間。巨大な丸窓とエレベータの塔は何をイメージして作られたのでしょうね。「海の砦」には見えないこともないのですが…。

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天王洲アイルの京浜運河沿いには、ボードウォークが作られ、水辺の景観が楽しめました。お昼休みに、こんな場所で弁当を広げたら仕事の疲れが吹き飛ぶかも。

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「空中庭園」からの眺めが素晴らしい東品川海上公園

高層ビルを縫うように作られた遊歩道を歩いて海岸通りを渡り、天王洲公園へ。昔は古いグランドがあっただけでしたが、現在は野球場がリニューアルされ、広い公園が整備されています。

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行った日は、中高年の方たちの野球チームが練習に汗を流していました。水辺やビルに囲まれた美しいグランドで野球したら気持ちいいでしょうね。

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広々とした運河にかかる美しいアーチ型の橋、アイル橋を渡って、東品川海上公園へ。歩行者専用の橋としては、かなりゴージャスで、水辺の景色と見事にマッチしていますね。

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それほど広くはないけれど、緑に囲まれた運河を見渡すことができて、都内とは思えない眺望を堪能しました。

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公園の一画に、窓のない巨大なビルがあって、「屋上庭園」というプレートが目につきました。以前、NHKの朝のニュースで、屋上を緑化した品川の公園内のビルがあるというレポートを見た記憶がありましたっけ。確か、天王洲アイルの近くって言っていたような。

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屋上に上ってみると、前回来たとき見えた、レインボーブリッジを今回も拝むことができました。高層ビルが多く建っていましたが、その間から橋脚の一部を見ることができます。いつまでもここからレインボーブリッジが見えたらうれしいですね。

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屋上は見事に緑化され、美しい花が咲き乱れる庭園がありました。世界七不思議のひとつ、バビロンの「空中庭園」はこんな感じだったのだろうかとイメージは膨らみます。

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屋上からの眺めも素晴らしい。先ほど、渡って来たアーチ形の橋や公園の緑と運河の青が秋の日差しに輝いて見えました。

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旧東海道品川宿は、見どころがいっぱい

平成の品川の景観を堪能したあと、いよいよ江戸時代の品川宿へと向かいます。公園を出て海岸通りを渡り、目黒川沿いの道を上流に向かって少し歩くと、対岸に古い社が見えました。

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ここが品川の総鎮守、荏原神社。創建はなんと、709年。平安時代にも、源頼義・義家の奥州征伐の際に、当社に参蘢したらしい。その後、源氏や上杉氏、徳川氏など多くの武家からも信仰を受けたのですな。

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古木にいだかれ、目黒川のほとりにある赤い鎮守橋とあいまって、歴史を感じました。

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しっかりお参りした後、山手通りに出てしばらく行くと、聖蹟公園があります。

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ここは、明治天皇が東海道を行幸のとき、行在所になった場所ということで「聖蹟」の名がついたのですな。普通のどこにでもある児童公園みたいでいが、江戸時代ここは品川宿の本陣の跡らしい。

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別の出口から公園を出ると、目の前は旧東海道。今は北品川商店街になっていますが、通り沿いにそれほど高いビルはないので、江戸時代の宿場町の風景がなんとなくイメージできました。

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旧東海道を日本橋方面に向けて歩きます。「東海道品川宿」の幟が道の両側にないと、普通の商店街と見た目は変わらないのですが、道の奥には古いお寺が並んでいるのは道の歴史を感じました。

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一心寺、養願寺、法禅寺、養福寺…。それぞれ個性があって、由緒を感じますね。

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品川区にもお台場があった

善福寺の近くの道を右折し、八つ山通りを越えてしばらく行くと台場小学校があります。

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台場小学校というくらいだからお台場と関係があるのかと思ったら、小学校の敷地は、江戸時代末期に作られた台場の跡らしい。正式には、御殿山下砲台跡という解説板と、当時の石垣が残されていました。

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そのあとに作られた灯台の模型もあって、当時は海岸線がこの近くまで来ていたことがわかります。小学校の敷地が、そのまま当時のお台場の形を表しているらしいので、小学校の周りを一巡してみることにしました。

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地図で見ると、確かに五角形のホームベースみたいに、細い道がまわりを巡っています。この角とか、当時のお台場の形なのかと…。

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今はまったくお台場の痕跡は残っていませんが、当時の姿を想像するとわくわくしますな。

江戸時代の東京湾に迷い込んだ巨大鯨

近くの利田神社には、江戸時代にこの近くに迷い込んだ鯨を供養した鯨塚がありました。

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近くのあった解説板を読むと、この鯨塚は、寛政十年(1798年)、暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨を品川浦の漁師達によって捕らえられた供養碑であるらしい。鯨の体長は、約16.5メートル、高さは約2メートルもあったそうな。

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現代でも、これだけの大鯨が東京湾に現れたら大騒ぎになりますね。当然、江戸中の評判となり、現在の浜離宮恩賜庭園にあった浜御殿まで移動させ、時の11代将軍徳川家斉が上覧したらしい。全国でも鯨がよく訪れる地域には、多くの鯨の塚や碑などがあるそうですが、ここ東京では現存する唯一の鯨塚だとか。当時、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを窺い知ることができる貴重な歴史資料でもあるそうですよ。

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東海道をテクテク歩き、京浜急行の北品川駅近くの京急線の踏切を渡ると、車がびゅんびゅん行きかう第一京浜国道。国道の向かい側に、茶色のシックな外壁のビルがありました。

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ここは、あの広末涼子様の母校、品川女子学院なのですね~。一時期、テレビや写真週刊誌に登場した、広末様が着る高校の制服が有名になりましたっけ。

ただ、私の年代だったら、桜田淳子様やスケート選手の八木沼純子様のほうが、印象が強いかもしれませぬ。

2016年1月28日

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