リレー徘徊27 力石集積地(大和川河口域)

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チン電で住吉鳥居前駅から我孫子道駅で下車&南すぐに流れる大和川、その河口周辺に小さな神社が点在します。創建の歴史は浅く江戸時代後期が多く、この地区が「新田開発」でできた集落であるということを物語っています。

昔は、ほとんどの労働を人力に頼るしかなく、必然的に個人の力の増強が必要とされていました。ゆえに全国で身体鍛練と娯楽を兼ね力石を用いた「力くらべ」が流行ったのだと言われていますが、この地区、他の地域に比べて力石との遭遇率が非常に高いですね。今回は大和川を挟んで4社、訪ねてみます。

力石とは…

まずリレー徘徊で何度か登場する「力石」について四日市大学の高島先生のサイトを参考して解説しておきますと、形は楕円形多く表面に凹凸が少ない自然石であります。力石1個の重さは米俵一俵16貫(約60kg)を最低基準として20貫~30貫(1貫=3.75kg)が多いそうです。

力石の表面には「重量」や「人名」「金剛石」などの文字が彫られているものが多くあります。相撲同様に番付表が作成されたそうです。下記の写真は力石と彫られ四十貫(150kg!?)であると記されてます。当然ながら私、担げません!!

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力石との遭遇場所

昔、集落の皆と競い合い、楽しんだ力石、その役割を終えた時代になっても廃棄せずに保管されています。多くは神社に保管されているんですが、公民館に公園脇や民家の庭、墓地など意外な場所で遭遇しました。皆さんのすぐ身近にもあるかもです。

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民家の庭先で〜

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力石(りきいし)さんのお墓ではありません(笑)

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新田開発と神社

本題に入る前に大和川について。この川は奈良県から大阪府に入った直後の河内国分で枝分かれし北上、大阪城あたりで旧淀川に合流していました。河内平野は湿地帯で度々洪水に襲われ、それを防ぐ目的で宝永元年(1704年)に国分から真西へ流路を掘削し大阪湾に流れを変えさせたのであります。

大阪湾周辺は湿地帯であり耕作に不向きな土地でありましたが、人口増加にともない米の増産をもくろみ湾岸部を開拓する必要になり多くの農民が移植、それに伴って小さな鎮守が各地に作られました。大和川の河口も同じように新田開発がなされた場所だったんです。

田守神社(堺市)

これから紹介する神社は、新田開発祈願からはじまった神社ですが、田守神社の歴史は古く三宝西地区一帯の総氏神だそうです。ここの力石は境内に真一文字に置かれてまして、その数15個!!圧倒されます。

なぜ、これだけの力石がココにあるのだろうかと神社のサイトをみると〜大和川付け替え後、土砂で洲ができ排水路の開削と土盛りの重労働を繰り返して川の機能を保ってきたそうです。その重労働を支える力を鍛える為に力石を用いた力くらべが盛んだったとか。大和川が付け替えられた当時、この神社を中心とした集落しかなかったんでしょうね。ゆえに大和川保全の役を担った村人男全員力持ちにならんとあかんかったかもしれませんね。

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15個〜なかなか壮観ですね!

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立花っ力自慢の醜名?

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重量別で微妙に意匠が違うのでしょうか?

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月洲神社(堺市)

この神社が鎮座する場所は、かって七道浜と呼ばれた海辺でしたがが、大和川が付け替えられたところから付近一体に流砂が流れ込み島の如き様相になったそうな。元文二年(1737)河内国丹北郡油上村(現大阪府松原市)土橋弥五郎により、この地の新田開発事業が無事に完工するのを祈願して創建されたのがこの神社だったそうです。

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力石は本殿前に並べられています。

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毎度の玉垣の奉納者名チェックしていたら「堺セルロイド株式會社」?で、調べたら現・株式会社ダイセルですね。上の古地図の場所に堺工場があったそうで、現在はイオンになってます。

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高砂神社(大阪市)

元文2年(1737年)、北島新田開墾をした初代加賀屋甚兵衛により創建されました。新田開発者は例外なく鎮守の神社を建てたそうで、甚兵衛は出身地である河内国石川郡喜志村(現大阪府富田林市)の産土神、水分神(みくまりのかみ)を勧請し神社を創建したそうです。

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あれ、この神社の力石は1個?と思ったら・・・

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根っこの中に1個、はまり込んでます

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丸石のお百度石は珍しいですね

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この神社は水の神様を祀っているので、水みくじ占いがありました

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高崎神社(大阪市)

宝暦五年(1755年)初代・加賀屋甚兵衛氏が産土神の水分神を勧請して大和川河口に祀ったのがはじまりで、天保十年(1839年)、当地一円の開拓者、三代目・加賀屋甚兵衛の新田開発工事が災害等で度々阻害されるので加護を祈願、自身生国の氏神水分社の御分霊を勧請、現在の場所に移築したそうです。

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力石に色々と文字が彫られてます

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持ち上げたろ〜とトライを試みましたが無駄な行為でありました

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そうそう、境内のお稲荷さんの狛狐がユニークで愛らしい〜♪

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次回は、加賀氏にちなんだ「こんな所に見事な庭園が!!」と驚きの加賀屋新田会所跡へ〜

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2016年8月29日

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