リレー徘徊48:路上芸術in宝塚〜抽象作品3

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抽象作品パート3は、平成6年(1994年)に宝塚市市政40周年記念として逆瀬川上流「ゆずり葉緑地」で開催された「石彫シンポジウム」の石彫作品群です。この前年に駅前の作品群が阪急宝塚駅前再開発事業の一端として制作されているので「新たなる宝塚の発展の為に」〜との願いを込めて開催されたんでしょうね。皮肉な事に、この翌年、平成7年に阪神淡路大震災が発生、再開発どころでなく、復興と再生が市政の命題となる訳です。

砂防公園「ゆずり葉緑地」

逆瀬川は兵庫県の砂防事業発祥の地で、砂防工事が明治28年(1895年)から始まった川なのです。ゆずり葉緑地は、県内初の砂防工事が行われたのを記念して造られた公園で、下の写真の左に見える白いためモノが記念のモニュメント構造物です。中には砂防に関する説明板が備えられています。このモニュメントの奥に小さく見えているのが、阪神淡路大震災の「鎮魂の碑」になります。ゆずり葉緑地へは阪急逆瀬川駅からバスで15分ほど、徒歩だと40分はかかります。

巨神の両目

公園の入口の階段を上がると最初に出会う作品がコレ。見た瞬間に「巨人の目」と思うんですが、題名は「光の舞台」、当初、向いている方角に宝塚市の街が見えるのでこの題名なんだろうかと。作者の北野正治氏は自己の表現を「光があり、空間があり、時間が流れる。それらは、人間に生命を与え、現実から未来を照らす。美術・デザインは、生きるための技術であり、喜びである。人間を超えた存在と、人間が持つ想像力の出会いを、表現する。」としているので、市政40周年記念ということを踏まえ「宝塚市の発展=輝く市民の未来」を見据えるって意味合いなのかな?

流石に裏面はノミの跡だけの自然石状態なんですね。

石の帆

阪神淡路大震災で倒壊、修復箇所が痛々しいこの作品、題名は見たままずばり「帆」。作者の大垣圭介氏(1943年生〜2014年没)は「石彫制作は〜石に彫らされる⇒石と話し合いが出来るようになる⇒その結果が作品となる」と語ったそうな。風が通り抜けるような山麓の地に似合った造形物を石と対話しながら創ったんでしょうかね。晩年は木や石を素材にしながらも「布」をテーマにした作品や阪神淡路大震災のモニュメントを制作されたそうです。

みたらし団子的な〜

ではなく作品名は「実のなる樹」、どちらも食べ物が見た目の共通項かな? 作者・辻弘氏は立体造形をされている作家のようで、前回の「生」のモニュメントの大野良平氏とともに宝塚市展では審査員として関わっておられるみたいです。ちなみにこの緑地のある周辺は、明治時代に梅園だったそうで、それに搦めての作品なんでしょうか?

雷神の足

私は「空を飛ぶ雷神の足」とイメージでしたが、題名は「鳥のように」〜「飛ぶ」というところの感性が作家と同じかな。作者の小川睦朗氏、ネット上に情報がなく、どんな思いで作品を創られたのか不明ですね。

全体が鳥のフォルムにも見えますね〜

唯一の女性の作品

中農三枝子作「風と光の足跡」。全体が「足跡」で、斜めに刻まれたのが「風」で、「光」はどこだろうかな?と思うのと、女性の作家さんが、どうやってこの大きな石の作品を制作して行くんだろうかと思ってしまいますね。

裏面からみると巨大な夫婦岩!?

阪神淡路大震災・鎮魂の碑

作品ではありませんが…「鎮魂の碑」と書かれた黒い御影石の上に球が乗っており、その周りを高さの違う人間の成長過程を表現した9本の柱が囲み、外側に白い御影石の柱が4本が空に向かって伸びています。完成して球になった犠牲者の魂が、両親の4本の手で天へ〜という願いがこめられているそうです。この下にタイムカプセルが埋められているとか。その中には、子どもの目で見た被災地を記録しようと「復興夢作文」や壊滅的な被害を受けた地域の復興予想図など17の作品が入っているそうです。

作品と時代

さて、最後にもう一度、JR宝塚駅前の現代美術家アルマン・フェルナンデス作品「クレッシェンド」を再掲します。この作品だけが阪神淡路大震災の後でも異彩を放っていて、他の作品との存在感の差異を私が感じるのは「現代文明」に対峙した作品だからなんでしょうか? 他の作品は「美の造形」を表現しているように思えますが、この作品のみが「酷の造形」を表現しているのかなと思いますね。次回は具象作品を紹介しますが、ほぼ裸の女性像ばっかですね〜(笑)

2017年2月21日

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