ヤング・ドラゴンの登竜門!かつての一軍本拠地・ナゴヤ球場

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プロ野球史上最高の名勝負が行われたナゴヤ球場

中日ドラゴンズといえば名古屋を本拠地とし、地元の熱狂的ファンで知られるプロ野球チームです。中日の本拠地は、現在ではナゴヤドームですが、1996年まではナゴヤ球場でした。

それだけに、ナゴヤ球場では数々のドラマが生まれました。つとに有名なのが10.8決戦です。

1994年、中日と読売ジャイアンツ(巨人)が激しく優勝を争い、10月8日の最終戦で両チームが同率首位で並び、この日のナゴヤ球場での一戦が優勝決定戦となったのです。当時、巨人の長嶋茂雄監督はこの一戦を「国民的行事」と評しました。

結果は、残念ながら3-6で中日が敗れ、巨人が優勝しましたが、ある野球専門誌によるアンケートでは、この10.8決戦がプロ野球史上最高の名勝負に選ばれています。

あの装置は、ナゴヤ球場が日本初!?

ナゴヤ球場時代の中日は、多くの名投手を生み出しました。古くは杉下茂投手でしょう。「フォークボールの神様」とも呼ばれ、打者が「来るとわかっていても打てない」というほどのフォークボールでした。

その後で有名なのは星野仙一投手です。「燃える男」のキャッチフレーズで、その気迫溢れるピッチングで打者を圧倒しました。余談ながら、人気タレントとして有名な板東英二氏もかつては中日の投手でした。

1980年前後になると、鈴木孝政投手や小松辰雄投手ら速球投手が台頭し、そのせいかナゴヤ球場では1980年に日本の球場で初めてスピードガン表示が設置されました。しかも当時のナゴヤ球場のスコアボードは手動式だったのに、スピードガン表示部分は電光掲示板で対応したのです。

現在は電光掲示板となっているナゴヤ球場のスコアボード。かつては手動式だった
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二軍本拠地として生まれ変わる

1997年、ナゴヤドームが完成したためナゴヤ球場は一軍本拠地としての役割を終えました。普通なら新本拠地球場が完成すると、旧本拠地球場はお役御免となって解体されるのですが、ナゴヤ球場は二軍の本拠地として生き残りました。

二軍本拠地球場となってからのナゴヤ球場は大幅に改装され、スタンドは収容人員約3万5千人から約4千5百人まで縮小し、ナイター設備も無くなったのです。そのかわり、狭いと言われていたナゴヤ球場が(両翼91.5m、中堅119m)、両翼100m、中堅122mという、広いナゴヤドームと同じ規格になりました。

スタンドは縮小、グラウンドは拡大されたナゴヤ球場
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二軍球場とは思えない利便性

様相を一変させたとはいえ、元々は一軍の本拠地だっただけに、二軍球場とは思えない利便性があります。

普通、二軍の球場といえば都心から離れたヘンピな場所(ハッキリ言うと田舎)にあるのですが、ナゴヤ球場はまさしく名古屋市のド真ん中にあり、ナゴヤドームよりも交通の便がいいぐらいです。

最寄り駅はJRの東海道本線の尾藤橋駅、そして名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線の山王駅からいずれも徒歩約7分という、至極便利な場所にあります。しかも、いずれの駅も名古屋駅から僅か1駅という、ウソみたいな便利の良さ。

そしてファン・サービスは二軍とは思えないほど抜群で、ファンクラブ会員には優先入場もあるし、チケットはコンビニで買えてしまうし、至れり尽くせりです。また、小規模ながら売店もありました。二軍では売店がない球場なんてザラです。でもナゴヤ球場はサービスが行き届いているので、平日の昼間でも多くの中日ファンが集まります。

平日昼間の有料二軍戦でも多くのファンが集まるナゴヤ球場
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筆者はこの日、若い主婦の二人組と隣り合わせたので、質問してみました。「なぜ一軍ではなく、二軍戦を観に来るの?」と。

片方の主婦によると、元々は野球には興味が無かったんだけど、中日ファンの旦那に感化され、やがて野球にハマってしまい、旦那を遥かに超える中日ファンになってしまった、と答えました。

そして何よりも、若い選手の成長が楽しみ、という理由でその主婦は友達を誘って、二軍戦を観に来たと言います。ちなみにその主婦たちは、わざわざ三重県津市から来たそうです。

二軍戦には、一軍戦とはまた一味違う楽しみがあるようです。かつての野球オンチですら、その魅力に取り憑かれるのですね。

2016年5月30日

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