飛鳥時代に伝わったキリスト教?大阪・奈良の竹内街道を巡るロマン

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日本の中心地だった「二つの飛鳥」

大阪府南東部にある太子町、奈良県中部の明日香村には、のどかな田園風景が広がっています。ところが今から約1400年前、この二つの土地は日本の中心地でした。現在の田舎風景からは想像もできません。

大阪府太子町の風景。左に立つのは推古天皇陵の石碑
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ところで、太子町周辺と明日香村には共通の地名があります。それが飛鳥です。難波宮(現:大阪市)に近い河内(現:大阪府)の太子町周辺の方を近つ飛鳥、遠い大和(現:奈良県)の明日香村の方を遠つ飛鳥と呼んでいました。

二つの飛鳥を結ぶ日本最古の官道

近つ飛鳥と遠つ飛鳥、この二つの飛鳥を結んでいたのが竹内街道です。約30kmにわたるこの竹内街道こそが日本最古の官道と言われています。飛鳥時代の592年、日本初の女帝である推古天皇が即位し、さらに甥の聖徳太子が皇太子となって翌593年には摂政となりました。

そして613年、
「難波より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」
として竹内街道が敷設されました。

竹内街道の出発点は現在の大阪府堺市で、松原市を通り羽曳野市に入ります。この堺市や羽曳野市には、世界最大級陵墓の仁徳天皇陵などで有名な百舌鳥・古市古墳群があります。いずれも、飛鳥時代以前の古墳時代に造られたものですね。

羽曳野市から太子町に入ると、急に険しい山道となり、二上山(にじょうざん)の南側にある竹内峠を越えると奈良県に入ります。竹内峠を下り切った奈良県葛城市長尾が竹内街道の終点です。ここから約10km東に明日香村があります。

二つの飛鳥を結んでいた竹内街道は、今でいう東海道新幹線のような大動脈だったと言えるでしょう。

大阪府太子町を通る竹内街道。江戸時代以前は旅籠などがあり、旅人で賑わったという
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終点の奈良県葛城市長尾に近い竹内街道。右の車道は竹内峠を越える国道166号線
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河内(大阪)側から見た二上山。左(北)の大きい峰が雄岳、右が雌岳。雌岳のさらに右(南)側を竹内街道が通る
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大和(奈良)側から見た二上山。当然のことながら、河内側とは雌岳と雄岳の左右が逆
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聖徳太子=キリスト!?

竹内街道は、単なる日本の大動脈だったわけではありません。中国や朝鮮半島と交流する国際道でもあったのです。

しかも、それだけではありません。実は、竹内街道はシルクロードの東端を担っていました。シルクロードといえばヨーロッパと中国を結ぶ道ですが、竹内街道はその終着点だったのです。

聖徳太子は明日香村にある橘寺近くの馬小屋(厩)で生まれたとされているため厩戸皇子とも呼ばれていますが、その伝説とは、
「母・穴穂部間人皇女の胎内に救世観音が入り、厩の前で誕生
というものです。

この伝説、イエス・キリストの生誕秘話と酷似しています。つまり、キリスト教の伝説が1400年前の日本に伝えられていたと考えられませんか?日本に初めてヨーロッパ人が来たのは1543年の鉄砲伝来の時ですから、それより900年以上も前のことです。

もっとも、聖徳太子の伝説は中国思想の影響いう説が有力なので、聖徳太子=キリストというのは憶測に過ぎませんが、もし本当だったら壮大なロマンと言えます。

なお、シルクロードの終着点は、710年の遷都により平城京(現:奈良市)に移りました。

聖徳太子が生まれた奈良県明日香村の橘寺近辺
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聖徳太子の墓所がある大阪府太子町の叡福寺
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謎に満ちた竹内街道を散策

飛鳥時代にはまだまだ解明されていない謎がたくさんあります。また、たとえば太子町側には推古天皇陵小野妹子の墓など、歴史的遺産も数多く存在し、竹内街道歴史資料館(入館料:一般200円、高校・大学生100円、小・中学生50円)もあります。

最寄り駅は、大阪府太子町側は近鉄南大阪線の上ノ太子駅、奈良県葛城市側は同線の磐城駅で、いずれも大阪阿部野橋駅から準急で行くことができます。

さあ、あなたも歴史とロマンに満ち溢れた竹内街道を散策してみませんか?

2016年4月21日

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