東京都心で江戸・明治時代の息吹に触れる旅 東京都千代田区を歩く

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霞が関は意外と穴場の観光スポット

今回行ったのは、東京のド真ん中、霞ヶ関の官庁街から赤坂、六本木へと巡るコースです。もちろん、東京に長く暮らしている私ですから何度も来たことがあります。しかし、個人的には敷居の高い場所。日本の行政の中心地ですからね。一般庶民が、観光気分で歩いていいのか、と…。

別に刑法に触れることはやっていないつもりですが、法務省や警視庁の近くへ行くと血圧が20くらい上がるかもしれませぬ。東京の庶民にとって食わず嫌いの場所ともいえる霞ヶ関ですが、意外と優れものの観光スポットがたくさんあるのですよ。

無料で楽しめるスポットも結構あり、外人観光客や修学旅行生だけに独占させるのはもったいないと感じました。

日本初の「洋風近代式公園」と言われる日比谷公園

…ということで、ウォーキングのスタートは、サラリーマンのおじさん御用達の新橋駅。駅前広場でSLを見つつ、まず霞ヶ関への玄関口、日比谷公園へ向かいます。

日比谷公園は、日本初の「洋風近代式公園」と言われる場所。元は松平肥前守などの武家屋敷地で、明治時代に陸軍練兵場となり、そのあと都市公園になったのですね。

公園面積は約160,000平方メートル。園内には、市政会館や日比谷公会堂、野外音楽堂、日比谷図書文化館、日比谷グリーンサロン、テニスコート、松本楼などがあります。都内屈指の公園だけあって、大小の花壇や多くの樹木、四季折々の花と緑を見ることができますよ。

日比谷公園の代表的な景観は、大噴水・噴水広場、第二花壇付近でしょうね。都心で、広々とした芝生広場が眺められるのは何だか得した気分ですな。芝生広場に入れればもっといいですけど…。

歴史の教科書の舞台にもなった日比谷公会堂

新橋方面から行くと、まず見えるのが古い煉瓦の建物。

これは、日比谷公会堂。1929年に市政会館およびそれに併設する公会堂として建てられたらしい。

歴史の教科書にも登場する旧社会党の浅沼稲次郎暗殺事件は、ここで1960年に起こったのですか。そんな大事件があったとは思えないほど、緑に囲まれてゆったりと佇んでいるのでした。

ずぶ濡れのコンサートも楽しい野外音楽堂

日比谷公園のもう一つの有名な建築物は、俗に「野音」と呼ばれる野外音楽堂。

客席数は椅子席2,664で、立見席も450あるのだとか。そういえば昔、デビューしたばかりのアイドル歌手のコンサートに行ったことを思い出しました。

当時、仕事の関係で、彼女のご家族と知り合ってコンサートのチケットをもらったのですよ。当日は、生憎の雨でしたが、多くのファンが集まって、ずぶ濡れで熱唱する彼女の姿が印象的でした。絶対有名になるなと思ったら、やっぱりそのあと大ブレイクしましたね。お姉さんは今でも実力派俳優で、頑張っています。

それにしても、当時実家へお伺いすると、必ず頭に猫を載せてお母様が出てこられたのが今でも不思議な光景として記憶に残っています。でも、庶民的なやさしい人でしたよ。そんな懐かしい思い出にひたって園内を歩きます。

ちなみに、野外音楽堂は、降雨時の傘の使用は禁止だそうで、雨合羽が必需品なのだとか。確かに、ノリノリで傘を振って応援したら危ないかもしれませぬ。

日比谷公園は見どころもいっぱい

都心の公園なのに、トトロの森みたいな巨木が至るところにあるのが印象的ですな。中でも有名なのは、この首掛けイチョウ。

ネーミングは少しおどろおどろしいですが、明治時代、このイチョウは道路拡張工事で伐採される危機に瀕していたらしい。それを日比谷公園の生みの親と言われる本多清六博士が「首をかけてもこちらに移植させる」と言って実行されたのですか。

今では日比谷公園のシンボルの大木ですな。

日比谷公園といえば、こちらの噴水も見逃すわけにはまいりませぬ。これは、鶴の噴水。都市公園等の噴水としてはわが国で三番目に古いらしい。

日比谷公園にはもう一つ音楽堂があるのですよ。それは小音楽堂。我が国初の野外音楽堂として明治38年に完成したらしい。

関東大震災で倒壊したそうですが、後日再築されたのですね。客席数は 1,075で、無料の催しが行われています。

公園の中に江戸城の石垣が残っている

日比谷公園には、西洋庭園が有名ですが、もちろん日本庭園もありまする。こちらの庭園のあった場所は、江戸時代は堀だったとか。その一部を明治36年に「心字池」として残したのですか。

その近くには立派な石垣もありまする。

ここはかつて、日比谷御門の一部であり、見張り役人が警備する日比谷見附があった場所なのですね。そういえば、日比谷公園の隣は道路一本隔てて、江戸城もとい皇居なのでした。

この石垣の積み方は、野面積み(のづらづみ)ですな。お城ファンにとっては、古い形の石垣の積み方だとわかります。

明治時代のお役所の雰囲気を今に伝える法務省赤れんが棟

日比谷公園を出ると、いよいよ禁断の官庁街。この赤レンガの建物は、法務省。さすが日本の司法の殿堂としての威厳が感じられました。

この建物は司法省の庁舎として、明治28年に竣工。関東大震災に耐えたものの、昭和20年の戦災により、レンガの壁と床を残して焼失してしまったとか。

その後改修して法務省の庁舎として利用し、平成6年に創建当時の姿に復元されたのですな。そういえば東京駅も、最近、創建当時の姿に復元されたのでした。それにしても近くで改めて見ると、明治の人たちの法律に対する意気込みが伝わってきます。やはり国の重要文化財なのですね。

ここは、外から眺めるだけでなく、一部ですが内部に入ることができるのですよ。「法務史料展示室 メッセージギャラリー」の看板があって、一般の人も見学できます。

門で警備の人に見学希望と伝えると、意外と丁寧に案内してくれました。手荷物検査はもちろん、氏名・住所・電話番号・なぜ見学したいのか、その動機くらいは聞かれるかと身構えたのですが、どうぞ、どうぞと愛想よく…。

さすがに、見学コースは制限されていましたが、高い天井や重厚な雰囲気を肌で感じることができました。

法務史料展示室は、旧司法大臣官舎大食堂を復元した豪華な部屋。明治時代に法典の編纂事業にまつわる史料や当時の有名な事件史料などが展示してありました。

メッセージギャラリーでは、裁判員制度についてのパネル展示やビデオなども見ることができるのですね。私も裁判員として、法廷に参加する機会もあるのでしょうか。

時代劇ファンとして、現代の刑法より江戸時代の刑法に詳しい私は、「百叩き」や「遠島」、「江戸ところ払い」を強行に主張しそう。それはともかく、明治の人たちの「司法の近代化」に向けた努力が伝わってくる施設でした。

2017年4月4日

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